三鷹200MHz太陽電波望遠鏡を日本天文遺産認定

 公益社団法人日本天文学会は3月17日、東京天文台(現・国立天文台)三鷹キャンパスで使用され、現在は国立天文台野辺山宇宙電波観測所で復元・公開されている、200MHz太陽電波望遠鏡を、2024年度(第7回) 日本天文遺産に認定したと発表した。同望遠鏡は、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)の前身機関が東京天文台に働きかけて製作されたもので、黎明期の電波天文学における通信工学者と天文学者の協働の成果とも言える存在という。
 日本天文学会によると、日本の電波望遠鏡の開発と主に太陽からの電波の観測研究は、第二次世界大戦をはさむ時期から日本のいくつかの場所で始められていた。その中で、日本最初期の電波望遠鏡として、三鷹の当時の東京天文台(現 国立天文台)で200MHz太陽電波望遠鏡による本格的な太陽電波観測が継続的に行われ、その成果がその後の太陽電波観測に引き継がれ、更に宇宙電波の観測へと発展していった。当時の他の最初期の電波望遠鏡の中で唯一廃棄されず、野辺山宇宙電波観測所で復元されて、当時の面影を良く残しているのがこの三鷹200MHz太陽電波望遠鏡であり、赤道儀架台や極軸には当時使用されていた構造物がそのまま使われている日本の電波天文学黎明期の電波望遠鏡として、今回、日本天文遺産に認定された。
 同望遠鏡は、1947(昭和22)年頃、電離層研究特別委員会幹事の電波物理研究所(現情報通信研究機構)所長・前田憲一が同委員会委員長の東京天文台長・荻原雄祐に、電波警報のための太陽電波雑音の観測を勧め、東京天文台三鷹キャンパスに設置される事になった。
 架台は、1936(昭和11)年に北海道女満別でおこなわれた皆既日食の観測に使用された光学望遠鏡の赤道儀の架台を使用することになり、電気通信研究所の通信工学者 川上謹之介と秋間浩によって開発・製作された200MHz用のアンテナ(木製枠にダイポールアンテナを4×4並べたもの)と受信機が三鷹に持ち込まれて天文台の架台に設置され、東京天文台の畑中武夫らとの協力により1949(昭和24)年9月に太陽電波の観測を開始した。当時世界的に研究が盛んであった太陽電波バーストの研究を東京天文台でも本格的にすすめる重要な観測機器になった。太陽活動の通信への影響研究を行う通信工学者と太陽・宇宙物理学を探究する天文学者が協力して太陽そのものを研究する電波天文学が日本に誕生したとも言えるという。
(全文は3月24日付紙面に掲載)

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kobayashi
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