「記念すべき6月1日①」
第1部 新NHKと民放の興り(昭和25年) さて、記念すべき昭和25年(1950年)6月1日を迎えたが、私は、この日こそ我が国の電波の民主化をもたらした「世紀の日」とあえて銘打った。 それは、当時一億人に近い日本人のすべてが待ち望んでいた日であり、大正四年以来、「政府のもの」といわれ規制が続けられてきた電波利用が、無線電信法による羈絆(きはん)から解放され「国民のもの」となった日だからである。 しかも、この日から電波の運営、監理監督を行う「行政」そのものが、従前から続けられてきた「独任制」すなわち「一人の所管大臣の裁量」から脱皮して、国民各層から選ばれた七人の委員(国会の承認を得て内閣総理大臣の任命)によって合議されるという画期的制度に改められた日であるからだ。 私はこの日を「日本の電波の夜明け」とも呼んでいるが、これ以上の讃辞を今もって見つけることはできない。 そしてこの日は、今まで幾たびか繰り返し紹介してきた民主的な特殊法人日本放送協会が発足し、日本人ならば誰しも法令の定むるところによって無線局の免許が取得できることになった記念すべき日であるからだ。 古風な表現で、形容も堅苦しくなったが、電波と共に四十数年を過ごしてきた私としては、この6月1日という日を生涯忘れることはできない。 さて、この日電波監理委員会と電波監理総局の発足を祝う式典が、午前11時30分から東京・青山の庁舎で、文字どおり厳粛に行われた。 なおこれより先、電波監理委員会の富安委員長ら委員七名が午前10時から首相官邸における認証式に臨み、吉田茂首相の前で宣誓を行っている。 富安委員長はこの日の開庁式において、全職員を前に「委員会行政の範となり、決然その面目を守れ」と次のように訓示している。 「職員各位の長い間の努力のたまものである電波関係三法は、いよいよ本日から施行されることとなり、ここに電波監理委員会は本日より新たに発足することになった。 電波行政の重要性について改めていうまでもないが、特にこの際お互いに考えたいことは、発足した電波監理委員会の性格が、従来の独任制官庁から新しい時代に即した民主的な合議制によって運営される行政官庁となったことである。 このような重要なる電波行政を、委員会制度によって運営するという方法をとったことは極めて意義深いものがあるが、同時にこの新制度のもとに行われる電波行政は、全国民注視の的である。 従って本委員会が所期の成果をあげるためには、委員会はもちろん監理総局の全職員が一体となって職務を遂行しなければならない。 従来に挙げた業績をさらに高揚し、新機構の目的を生かすため、われわれは決然として委員会の面目を守り、委員会行政の模範となるように心がけたい」。 いつも〝温和な人〟といわれた富安さんのこの日の表情は、毅然たるなかにも威厳があった。 (第75回に続く)