実録・戦後放送史 第5回
「放送委員会の設置」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和20年)
NHK詣が日課となって、放送会館内のあらゆる部局を回り、技術的問題については小松繁技術部長や村瀬、田辺副部長などから、放送の面では河西三省氏らの手ほどきを受け、その一方では音楽部や演芸部員から番組について取材した。
またNHK全体の、当面する政治的、経営的な問題については、池田秘書課長のレクチャーを受けたりして放送界への第一歩を踏み出した。演出家やアナウンサー、芸能人らとも繁く接触したが、そうこうしているときに、NHKの屋台骨をゆるがすような大事件が起きた。
それは、GHQ主導の「放送(NHK)の民主化政策」の第一弾ともいうべきものであった。二十年十二月十一日、GHQはNHK改革の手始めとして、次のような覚書を日本政府に手交した。
「日本の放送制度を改革するため、全国民の世論を代表する『放送委員会』を設置する。
この機関(委員会)は、放送事業の民主化に貢献することを基本的任務とする」というものであった。
命令を受けた逓信院は松前総裁を中心に、直ちにその人選に入ったが、逓信院から出された委員候補にGHQは、何回もクレームをつけた。理由は、それまで(戦前戦中にわたって、日本の政策に協力、同調した者)は、すべて却下するというものであった。数次にわたる折衝のすえ、誕生したのが、当時赤い放送委員会と呼ばれた次のような顔ぶれであった。
委員長=浜田成徳(元東芝電子工業研究所長)▽委員として渡辺寧(東北大学教授)近藤康男(東大教授)川勝堅一(高島屋販売部長)大村英之助(日本移動映写連盟会長)土方与志(演出家)滝川幸辰(京大教授)堀経夫(阪大教授)加藤静枝(社会党)宮本百合子(著述業)島上善五郎(東交労組書記長)瓜生忠夫(青年文化会議常任委員)槙ゆう(共産党)矢内原忠雄(東大教授)聴涛克己(産別労組議長)小林勇(岩波文庫支配人)の異色メンバー。
これら委員は昭和二十一年一月二十二日、放送会館に乗り込むと、すぐさま次のような声明文を発表した。「本委員会は、連合国軍最高司令部ならびに日本政府の斡旋により一九四六年一月二十二日成立した。本委員会は日本国民各層よりの代表十五名である。
当委員会は、全国民の世論を代表する機関として、日本における放送事業の民主化に貢献することを基本方針とするものである(後略)」
さきのGHQ覚書の棒読みに等しかった。
そこで私は早速、浜田委員長に会見を申し込んだところ、浜田さんはすんなりと受けてくれたが、「当面の委員会の仕事は、新会長(NHKの)を選ぶことと、協会の民主化だが、相手もあることでね」と多くは語らなかった。
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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