実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第8回

「NHK改革③古垣専務理事」

第1部 放送民主化の夜明け(昭和21年)

放送民主化をめざした旧日本放送協会の最高人事が決まると、高野岩三郎会長ら首脳陣は、まず組織及び人事の刷新と、経営の立て直しのため寧日がなかった。
そうした動向を詳さに報道するためには、連日新理事や部課長連にお百度を踏む必要があった。
先にもふれたように狭い執務室であり、日に何度も同じ人と袖すり合わせることになる。しかもその狭い部屋を象徴するかのように専務の古垣さんと編成担当常務の権田保之助氏は、しばらくの間合部屋生活だった。背中合わせの席に執務されているので、この部屋だけは入りにくかった。
古垣さんと話していると権田さんが時々振り返えられるように、こちらへ視線を向ける。権田さんと面談していると、その逆のかたちになる。
そんなことが続いたある日、古垣さんは「あなた、朝は早いほうですか」と聞くので「早起きは身上です」と答えながら、なんのことかと次のことばを待っていると
「よろしければ明日から毎朝八時半に、お目にかかりたい。いろいろお聞きしたいことがありますのでー」という。
ことばは慇懃(いんぎん)だが、有無を言わせぬ調子であった。
翌朝、約束の時間どおりに古垣さんの部屋に出向くと、すでに待っておられて
「実はいま、いろいろと勉強中でしてね。協会内の出来ごとは、どんな些細(ささい)のことでも知っておかねばなりません。そこで貴男の掴んだ情報とか、NHKに対する感想、なんでも聞かせて下さい」と言う。古垣さんには、そういうところがあった。
NHKに出入りするようになってから、まだ半年あまりの私には、こちらこそ聞きたいことが多いのに何を聞かれようとするのか不安な面もあったが、そんなことはお構いなしに「この問題についてあなたは、どのように思われますか。また、どんな風に聞いておられますか」と具体的に質問されてみると、ある程度知り得た情報を口にしないわけにはいかなかった。
そうした中で、いちばん困ったのは人物月旦(げったん)である。特定の人物の名を挙げて「この人は、どのような性格ですか。あなたの評価を聞かせて下さい」と聞かれるのは弱った。二、三度お茶を喫んだ程度のお付き合いで、そう簡単に人物評価ができるものではない。よしんば、ある程度は知り得ていたとしても、その人をあげつらうわけにはいかなかった。
ところが古垣さんは「あなたの直感でいいんです」と言われるのには本当に参った。
(第9回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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