実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第21回

「放送法制定に向けた動き③」

第1部 放送民主化の夜明け(昭和21年)

そのころ、日本の占領政策を進める上で重要なキャスティングボードを握っていたのは、米、英、中華民国、ソ連の四カ国で構成される「対日理事会」であった。
連合軍総司令部(GHQ)が対日基本政策を決めようとする場合は、この機関に諮り、その勧告にもとづいて執行されることになっていた。
対日理事会は、戦後の「日本の放送事業の管理及びその所有権」のあり方について、GHQから諮問、すなわち意見を求められ、二十一年十一月十一日から翌二十二年一月八日まで、前後三回にわたって審議を行い、日本の民主化にとって「独占的な放送体制の是非」を論議した。
まず英連邦代表マクマホン・ポールは第一回理事会で「この問題は、日本人自身が決定すべきである」としながらも「現在の日本ではGHQそのものが放送内容を管理すべきであり、そのためには放送事業が統一されていることのほうが占領政策を進めるために便利であるから、いま直ちに商業放送を奨励することは尚早である」と発言。
沈観鼎中国代表もイギリス代表とほぼ同じ考えを示した。
これに対し一、二回の理事会では態度を明確にしていなかったソ連代表デレビヤンコ中将は、一月八日の第三回目の理事会の席上、はじめてソ連としての態度を次のように明らかにした。
一、放送を一つの政府機関に集中することは非常に占領軍当局を援助することとなる。また各連合国の利益になる適当な放送内容が得られると同時に、日本の放送事業を助けることにもなる。
二、放送局建設には経費がかかるものであり、もし民営放送局が建設されることになれば、それは最も有力な経済的企業的能力を有する会社によって営まれることになり、ひいては将来日本の民主化に貢献できる新興民主主義団体の放送への進出を阻害することになる。
三、民放会社の主要目的は営利にあるため、非民主主義的機関によって、民主主義精神に基づく日本国民の教育とは一致しがたいような放送に利用される。
四、民営放送の主要収入源は広告であるから、民営放送局が広告をより多く提供できる都市に集中することは必然である。放送局の民営は、日本における放送局ならびに放送の地域的偏差の状況をさらに悪化させる。
したがって全国に散在する国営放送局を集中的に運営することは、国民大多数の利益になる(注=直訳文)。
以上は、きわめてソ連的な主張であるが、イギリス、中国も同様な意見であったため、当時のGHQもこれを認めざるを得なかった。
また、当時としては二十年十二月CCSのハンナーメモ(日本放送協会の再組織に関する覚書)が厳然と生きており、GHQも、この対日理事会の勧奨を容れ「放送の独占的体制の維持と協会の再編成」を公式態度として打ち出した。
これによって民間放送の設立運動は、頭から冷水を浴びせられた形になってしまった。
(第22回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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