実録・戦後放送史 第23回
放送法制定に向けた動き⑤
第1部 放送民主化の夜明け(昭和22年)
さらに逓信省は、二十二年一月八日の「対日理事会」の決定と、連合国軍総司令部(GHQ)からの「民間放送不許可」通告に接して、省(国)としての方針を打ち出さなければならなかった。
そこで同年二月十四日にいたり 「新放送機関の設立について」および「第二放送について」、また同月十八日「新放送会社設立許可申請の処理について」と題する三つの当局方針を発表した。
これを要約すると①新放送機関(民放)の設立方針は変わらないが、なお「時期尚早」である、②NHKの第二放送は、文化国家建設のため「必要最小限」のものとして存置する、③民衆放送の許可申請書は「返戻する」というものであった。
これら方針(案)のうち「民放不許可、申請書返戻」については「放送会社設立許可申請の処理方針」の中において、その苦悩が滲み出ている(以下原文のまま)。
即ち、当省としては諸般の情勢を考慮し、この際本件に対する方針を次のごとく定めることとしたい。
▽日本放送協会以外に新しい放送機関を設けることは望ましいことである。従って一昨年九月決定の根本方針には変更を加える要は認めない。
▽しかし右の方針はわが国の戦後の生産が相当大きなものとの前提の下に策定されたものであるが、その後わが国の生産状況は希望の如く進展していないので、今直ちに本方針を実行に移すことは次の諸点からして不適当である。
その不適当な理由として
①わが国としては放送資材はこれを日本放送協会施設の保守整備に先ず充当して、全国に及ぶ放送網の一応の完成を企画し、更に余力ある場合において初めて他の新施設に充当すべきであるが、現状は真空管に例をとるも放送協会の緊急な需要すら充足し得ない状態にある。
②現在わが国一般聴取者に普及している受信機は、選択度が悪く新たに放送会社を許可すれば、放送協会の放送と混信し新会社の放送を聴き得ないばかりでなく、現在聴取可能の放送協会の放送をも聴けなくなる。
この点に関し昨年方針決定の際には、一般家庭の受信機の質的向上を図り、無線工業の維持発展を図るためにも新会社の設置は望ましいことであるとされたのであり、さらに放送(中波)のみならず短波を利用して放送を行い、一般に短波(全波)受信機を普及することにしたいと考えられたのであるが、現在わが国の受信機及び受信用真空管の生産状況からいえば、かかる新受信機の大量生産又は大量の改造は倒底不可能である。
また短波放送用の周波数を獲得することも困難である。
次に日本放送協会の保護育成のため聴取料を独占させること、新民衆放送会社は広告収入によって経営を維持させる方針であるが、現在の状況から多額の収入は見込み得ない。
さらにNHKの第二放送の周波数割譲も認めることはできないとし「この方針はGHQに連絡しその了解を求めた上、各申請者に対しては『本件は許可しない』旨通達すると共に、願書は返戻することとする」というものだった。
(第24回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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