実録・戦後放送史 第29回
「ファイスナー・メモ②」
放送民主化の夜明け(昭和22年)
昭和二十二年十月の中旬のある日、私は逓信省首脳やNHK幹部などが、総司令部から出頭を命じられたことを知った。
鈴木次官に聞いたところ「放送の管理などについて、新しい方針が示されるようだ」とのことであった。
かくて十月十六日、逓信次官鈴木恭一、網島毅電波局長、鳥居博法令審議室主査、村井修一事務官ほか、NHKからは、古垣織郎専務理事、金川義之庶務部長、栃沢助造技術局庶務課長らが連れだってCCS(民間通信局)事務室に伺侯した。GHQ側からはCCS次長ラティン大佐、同アレン次長代理、ミラー放送課長、ファイスナー調査課長代理、そしてCIE(民間情報教育局)からはクルーズ放送班長らが出席、午後二時三十分、まずラティン次長が、放送管理方式についてGHQの基本方針を示達したあと、ファイスナー氏が、この方針の内容について次のように演繹した。
「これから説明することは一般論であるが、一般論といっても全般的なしかも根本的な原則である。
細目については逓信省がこれに基づいて新法案を完成した後で討議するという形をとりたい」旨をまず明らかにし、SCAP(総司令部)の意見及び示唆として「SCAPの与える示唆の根本原則の第一は、新法律はすべての放送技術、すなわち国内放送、海外放送、FM(周波数変調)放送、テレビジョン、模写(ファクシミリ)放送の発達に対する確固たる基礎を規定すべきである(と、まず「放送」の範囲を示し)、
第二は、この基本立案は、次の諸点に関し重要な一般原則を反映すべきであるという点である」。
すなわちA=放送の自由、B=不偏不党、C=公衆に対するサービス責任の充実、D=技術的諸条件順守である(注・放送の基本四原則)。
次に基本法はあらゆる種類の放送形態、つまりすべての放送技術を管理し、また国内の基本放送、海外放送を運用する機関の設立を規定しなければならない。そして、この機関は、いわゆる「自治機関」であって、すべての日本政府の行政官庁から独立して離れなければならない。
そして、この機関が国会に対し責任を有するように作られるかどうかということは、特別な観点からはさほど重要ではないが、とにかくそれは自治機関でなくてはならない(と「放送の独立性」を強調したあと、さらにこれを次のように敷衍(ふえん)した)。
「それ(注・この管理機関)は逓信省からも文部省からも大蔵省からもその他いかなる省からも完全に独立し、いかなる者に対しても責任を負うてはならない。
また如何なる政党からも如何なる政府の閥からも、団体からも個人やその集団からも支配を受けてはならない。
つまり放送の管理機関はすべての権力から独立した公共的なもので、例えばアメリカのFCC(連邦通信委員会)のようなものである」という説明がつけられた。
これは、それまでの日本にとっては、全く未知に等しいものであった。
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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