実録・戦後放送史 第34回
「第一次放送法案を策定②」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和23年)
また、第一次放送法案については、GHQのLS(法務局)も原案を詳さに検討し、修正意見を求めることなどもあった。
しかし、国会の要請により逓信省は、やむなく第一次放送法案を撤回し、しばらく様子をみることにしたが、それにはいくつかの理由があった。
特にその中で「放送委員会」の設置が論議の的であった。
古くから日本の行政は所管大臣の裁量にまかされていた。これを「独任制」というが、GHQの示唆は、政府からも国会からも干渉を受けない「完全に独立」した合議制による委員会を作れ、というものであって、わが国の行政にとって全く前例をみない革命的なものであったから、立案当事者は大いに当惑したばかりでなく、このような方式の導入には、きわめて消極的であった。
あえていえば、当時の官僚は旧来の行政制度を生かし、大臣の下に諮問機関的な放送委員会を作ることを考えていたのである。
一方、NHKでも原案に異見をもった。総理大臣の任命した委員(五人)だけでは官僚統制を招くだけである。むしろNHK内部に意志決定機関としての評議委員会を設け、ここに国民大衆の意見を反映させるべきだと主張、評議員の選出方法まで案出して逓信省に申し入れるなどしている。
日本側で、こうした動きがあるなかで、注目すべき事件が起こった。
それはGHQ内部の問題であったが、総司令部法務局(LS)が、ニュース放送に関する制限条項について、同法中の十七カ条に修正を求めてきたのである。
昭和二十二年十月十六日、CCS(民間通信局)のラティン大佐からの最初の示唆では「これはGHQの総意である」として、総司令部の考えは一枚岩であることを強調したのであるが、実は細部にいたるまでGHQ内部での打ち合わせが充分になされていなかったようである。
廃案とはなったが、最初の原案の第四条には「ニュース記事の放送については、左に掲げる原則に従わなければならない」と前提し
一、厳格に事実を守ること。
二、直接、間接であるとかにかかわらず、公安を害するものを含まないこと。
三、事実に基づき、且つ、完全に編集者の意見を含まないものであること。
四、何らかの宣伝的意図に合うように着色されないこと。
五、一部分を時に強調して何らかの宣伝的意図を強め、又は展開しないこと。
六、一部の事実又は部分を省略することによってゆがめられないこと。(後略)などとなっていた。
この案文に対してLSは「政府に(もし)その意志があるなら、あらゆる種類の報道の真実あるいは批判を抑えることに、この条文を利用することができるであろう。この条文は戦前の警察国家の持っていた思想統制機構を再現するおそれがある」として、第四条の全面的削除を勧告した。
国会筋では、この規定について特に論議されず、むしろ「罰則」規程を設けるべきだという意見が強かった。
このようなLSの修正意見は、次後の法案のなかに生かされ、たとえば現行法では「報道は、事実を曲げないですること」と幅広い表現に変更されている。
(第35回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
本企画をご覧いただいた皆様からの
感想をお待ちしております!
下記メールアドレスまでお送りください。