実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第39回

「電波三法の国会審議始まる①」

第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)

 「これより会議を開きます。昨年十二月二十二日、本委員会に付託になりました電波法案、放送法案おなじく二十三日付託になりました電波監理委員会設置法案は、ともに関連をもっておりますので、これより三案を一括議題として審議を進めます。まず以上三法案の趣旨について説明を求めます。小沢国務大臣」
 昭和二十五年一月二十四日午後一時、衆議院電気通信委員会の幕開けである。
 当時を回顧すれば、辻寛一委員長は、実によく通る声で小沢佐重喜電気通信大臣から提案理由の説明を求めた。
 小沢電通相は「放送を含む電波行政の現在の基本法である無線電信法は、大正四年に施行せられたものでありますので、放送をはじめ、科学技術の進歩に伴い、電波を利用する分野が拡大した今日にいたりましては、十分に規律の目的を達しているとは申せないような次第であります。
 特に放送に関しましては、この不備を補うとともに、国民全体のための放送とするために、現在の日本放送協会を改組すると同時に、その事業の独占を排除することが、社会の要望するところとなって参りました。
 次に、日本国憲法の施行によりまして、国民主権に基づく法律による行政を確立いたすためには、無線電信法は行政官庁に対する授権の範囲が広すぎ、国民の権利及び自由を十分に保障するものとは申すことができません。
 また電波が国境を越えた文化的手段でありますことから、その利用には高度の国際協力を必要といたしますが、このため国際電気通信条約にわが国も昨年加入いたしました結果、この条約の要求を満たすように国内法制を整備する必要がございます。
 さらに無線電信法の性格そのものにつきましても、現在電気通信省で行っております公衆通信事業の事業経営の準則と見られる規定が、監督行政の規定とともに包含せられておりますので、行政を事業から分離し、別個の法体系とすることが合理的であると申すことができるのであります。
 同時に主管の行政官庁も事業官庁である電気通信省から分離するとともに、その組織を民主化することが、行政の公正を期する上に必要となって参りました。
 以上要するに電波の公平かつ能率的な利用を確保し、公共の福祉を増進するため、及び放送が公共の福祉に適合して行われ、かつ健全な発達をはかるために電波法案及び放送法案並びに電波監理委員会設置法案を、ここに提出した次第であります。
 何卒ご審議の上すみやかに御決定あらんことをお願いする次第であります」(原文のまま)。
 この提案理由の趣旨説明に次いで、網島電波監理長官から電波関係三法案の大要について具体的な説明が行われた。
 まさに「日本の電波の夜明け」を象徴する画期的な演説ともいえるものであった。
 (第40回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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