実録・戦後放送史 第40回
「電波三法の国会審議始まる②」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
前述したように電波関係三法案は、昭和二十四年十二月二十二日、第七通常国会に提案され、衆・参両院の電気通信委員会への付託となったが、両院で成立するまでに要した実質的日数は、①衆議院での委員会が十六回、本会議二回②参議院での委員会二十一回、同本会議二回③関連して開かれた内閣委員会(電気通信省設置法の一部改正に伴うもの)が衆議院で五回、参議院で三回。日数にすれば実質審議は衆議院が一月二十四日から五月一日まで、参議院も一月二十四日から五月二日まで合計百九日間を要している。
しかもこの間、広く関係者国民の声を聞くための「公聴会」が衆議院で一回。放送法案については、その重要性から、衆議院の電気通信、文部委員会の連合審査会が、また参議院も内閣、文部委員会との合同審査各一回を実施するなどしている。
さらに衆・参両院で、原案修正の動議が出され、一時は両院でたらい回しになったりもした。
思えば、戦後の新生日本の前途にとって、もっとも重要な意義を持つ法律の制定であり、各委員会というより全国民注視の法律案であったから、かくいう私も「記者」として、連日国会の門をくぐり、その質疑応答に耳をそば立てたものである。
さて、昭和二十五年一月二十四日午後一時、小沢電気通信相の提案理由説明のあとを受けて、網島毅電波監理長官は、電波法、放送法ならびに電波監理委員会設置法案(いわゆる電波三法案)の目的、内容等について、約一時間にわたって大要次の如く説明した。(原文・速記録のまま)。
「まずこの三つの法案の関係をご説明申し上げたいと存じます。これら三つの法案は相互に密接に関連しておりまして、一体として電波及び放送の行政の基本法となるものでございますが、そのうち電波監理委員会設置法を独立の法案といたしましたのは、行政作用の法律と区別して、行政組織の法とするためでございます。
電波法案及び放送法案は、ともに行政作用の法でございまして、設置法では、この電波及び放送の行政をつかさどる共通の国家行政組織であるところの電波監理委員会の組織、権限及び所掌を定めてあるのでございます。
電波法と放送法とにつきましては、放送が電気通信の中におきましても、最も社会的あるいはまた文化的に特質がある事実にかんがみまして、特に放送法といたしまして、放送事業のあり方、すなわち日本放送協会及び一般放送局のあり方、及び放送の番組内容のあり方につきまして、その大綱を規定いたしました。
これに対しまして電波法は、放送を含む電波一般の有効かつ能率的な利用を確保するという面を、直接の規律の対象といたしまして、無線局はもちろん、個々の放送局も無線局も、ひとつとして免許、設備の条件、運用の監督等につきまして、すべて電波法の適用を受けるということにいたした次第でございます(中略)」
網島長官は、このようにまず三つの法案の性格、目的、区分等について明らかにし、次にそれぞれの法案の骨子について詳細な説明に入った。
(第41回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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