実録・戦後放送史 第41回
「電波三法の国会審議始まる③」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
「電波三法」の国会提出にあたって行った網島電波監理長官の趣旨説明の内容紹介を続けたい。
「いうまでもなく電波法、放送法は、昭和二十五年六月一日施行以来、その間何回かの改正をみているが、その基本的精神である「電波(放送をふくむ)を民主的に、かつ最大限に普及させ、公共の福祉を増進させる」という精神にはいささかの変更はない。」
本稿は、このような法律が、どのような経緯を経て成立したかについて現世代の人々に正しく理解を持っていただくことを一つの目的としているので、暫くご静読をお願いしたい。
さて、網島長官は、前にふれたように、まずこの法律が「行政作用の法律」(電波法・放送法)であり、一方は「行政組織法」(電波監理委員会設置法)であると、その区分を明らかにしたうえで、それぞれの法律の目的、沿革について次のようにのべている。
「この電波法案は、最近における電波利用の急速かつ広範囲の進展と、これと軌を同じくしてできました新たな国際電気通信条約の成立とに即応いたし、古い無線電信法にかえて無線電信、無線電話、これにはもちろんラジオ放送も含んでおりますが、そのほかテレビジョン、ファクシミリ、ラジオゾンデ、その他最近のいろいろな電波を応用する一切の私設、及びこれに妨害を与える私設に対する免許、監督等の国家の規律を定めるものでございます。
この法案を現在の無線電信法に比べまして、そのおもな特色を以下二、三申し上げたいと存じます。第一は現在の無線電信法は、無線局の開設につきましては、政府が電波についてすべてを管掌するという観念のもとに、政府の専有を原則といたしておりまして、その制限列挙した例外の場合に限り、私設を許可しているのでございますが、今度の電波法案等におきましては電波の利用範囲の拡大に伴いまして、旧無線電信法の建前を捨てまして、万人の電波利用の自由を認めておるのでございます。
ただ電波はこの数に非常に限度がありますために、これを有効適切に使うための統制を加えるということにいたしております。
第二は、旧無線電信法におきましては、国営無線通信事業の経営に関する規定と、無線通信の監督に関する規定とをともに含んでおりましたが、電波法案におきましてはこの部分を分離いたしまして、もっぱら電波行政の基本法律となっております。
従いまして電気通信省の事業経営に関する無線電信法の規定は、新しい事業法ができるまでその効力を存続するということにいたしまして、将来はこれを除去したいと考えておるのでございます。
第三は行政の対象が新事態に即しまして、格段に拡張されております。すなわち従来電波の利用範囲がごく限定されておったのでありますが、波長の技術的な拡大に伴いまして、その応用範囲を広くしております。」
これまでの網島長官の説明を要約すると、電波法、放送法を制定する根拠として、旧無線電信法が新しい時代に副わなくなった理由を強調している。(第42回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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