実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第46回

「電波監理委員会設置法」

第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
 網島長官は「電波監理委員会設置法案」について、①その目的と制度②組織と運営等について、その概要を明らかにしていった。
 電波監理委員会といっても、近世代の人には馴染みがない、と思われるので、かいつまんで申し上げると、この委員会は、あらゆる無線局や放送局等の免許と監督を司る合議制による国の行政機関で、もちろん電波(周波数)の指定割当も行った。
 しかし、このわが国はじめての独立行政機関は、昭和二十五年六月一日に発足したものの、同二十七年七月三十一日、行政機構改革により解散という数奇な運命をたどっている。
 しかも、この委員会制度については、当時の吉田内閣が「日本の将来を左右するような電波、放送行政が、政府が直接関与できない、つまり政府からも、また何ものからも独立した委員会というものは、日本の実情になじまない」と強く反対したものの、結局は占領軍最高司令官であるマッカーサーによって、設置を強要されたいわくつきのものである。
 さて網島長官の説明に移ろう。
 まず網島長官は「電波管理委員会設置法は、電波の管理および放送の規律に関する行政の重要性にかんがみまして、その担当行政機関としてアメリカの独立行政委員会の制度にならった委員会を設けようとするものだ」と前置きし、この委員会の設置により「電波庁」(昭和二十四年六月一日創設、二十五年五月三十一日廃止)は、この委員会の事務局「電波監理総局」に移行すると、まず組織について説明がなされた。
 「設置の主旨、業務等についてはご承知のように電気通信省は管理行政のために、みずから多数の無線施設を建設し、維持運営しているが、この二つの機能は完全に相違したもので、この両者を同一の機関で行うことは電波監理行政の真に公平な実施を確保するうえに「妥当を欠くうらみ」がある。
従って電気通産省、国家公安委員会、海上保安庁、気象台その他の国家機関、都道府県庁等の自治体、並びに船舶無線施設者、日本放送協会、日本国有鉄道等すべての個人または団体の無線施設についての免許及び管理行政を行う機関として設けることにした。
 これは各省庁に対して最も公平な行政を確保できるもので、総理府の外局として設けられる。
 目的は①電波監理及び放送の規律を公平に行う②そのために一党一派その他一部の勢力からの支配から完全に分離したものであること③その政策は長期かつ恒久性をもたせ政変等によって変動しないこと④委員会は行政執行だけでなく、半立法的、半司法的権限をも有する⑤行政民主化のため「聴聞」制度を設ける⑥委員は七名で両院の承認を得て首相が任命する」というものであった。
 以上で網島長官の趣旨説明を終えた。
 このあと辻寛一電気通信委員長は「この法案は一般的関心と目的を有する重要法案であるので、公聴会を開いて関係各方面の意見を聴いたうえで処置したい」と諮り、万場一致でこれを決めた。
        (第47回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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