実録・戦後放送史 第51回
「公聴会・阿部真之助①」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
NHKの古垣会長の「放送法案」賛成と、NHKの公共性を強調した意見陳述のあと、公述人席に立ったのは、元毎日新聞役員であり、当時は随筆家兼政治評論家として著名な阿部真之助氏だった。
阿部さんは元毎日新聞時代の大先輩であり、筆者のいわば恩師ともいえる人である。戦後間もなく毎日新聞を公職追放のかたちで退職。一個人となられてからは評論家、随筆家として健筆を振るわれ、雑誌「文芸春秋」には毎号、巻頭言ともいえる社会時評などを寄稿された。私なども最大の敬意を払ってこれを熟読させてもらった思い出があるが、その阿部さんが、のちに政府から請われてNHKの経営委員長に、そして会長にまで就任した。
ある日、NHK会長室に訪ねると「キミ、NHKの会長とか経営委員長とかいうものは、まことにツマらんね。月給は安いし、ボクから筆まで取り上げるんだから、政府もケシカランよ」とよく言われたことを思い出す。
昭和二十五年春、国会の公述人として出席したころの阿部さんは、まさかご自身がのちにNHKの経営にたずさわるようなことになろうとは夢にも考えておられなかっただろうと思うが、正に人間の運命というものはまことに数奇なものだ。
国会(公聴会)での阿部さんの主張の概要を以下に紹介してみよう。
阿部公述人
私は法律のことはよく存じませんし、ことに放送の技術のことについては一向に存じていませんので、私のこれから申し上げることは、大衆の気持ちというか、大衆のセンチメントを申し上げるので、議論にはならないかもしれません。(中略)
私は初めこの法案が出ると聞かされたとき、先ほどもある委員が言われた中に、自由競争の原則という言葉があったのでありますが、そういうふうな意味合いでこの法案が提出されるのではないか、かように理解しておったのであります。
ところが法案を拝見しますと、必ずしも自由競争の原則というものが全面的に取り上げられていないようであります。といって従来あったような統一的な、そういうふうな原則でもないわけであります。
先ほども古垣君(注・NHK会長)もいったような、二重的な原則によってこの案が取り上げられているように思うのであります。
一つはいわゆる公共放送、一つは商業放送、こういうことになっておる。
先ほど来、公共ということはどういう意味かということが盛んに論議されておったが、私にわからないことは、一体公共とは何ぞやという基本概念について、はなはだ不明確なものがあったように受け取れたのであります(このように
阿部さんは前置きして、いわゆる「公共放送とは何か」と、その本質について突っ込んだ議論を展開していった)。
(第52回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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