実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第53回

「公聴会・技術、経営面からも意見①」

第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
 阿部真之助氏の意見に対して国会議員(中村純一、橋本登美三郎委員など)から、いくつかの質問が出された。
 それは、この法律によって生まれる新しい日本放送協会(NHK)と民間放送の性格や経営のあり方についてであった。
 これに対して阿部さんは「NHKが公共放送というならば、ある程度の制限や監督はやむを得まい。民間放送は法律等による保護を受けないかわりに、できるだけ自由闊達に事業を行えるようにすべきだ」と結んだ。
 次の公述人は別所重雄氏である。
 別所さんはその当時「ラジオ日本」と名付けた民放会社の設立準備委員をしていた。このラジオ日本は毎日新聞をバックにした東京では先駆けとなる申請者であり、やがてはラジオ東京(今日の東京放送)設立の母体的役割を果たしている。
 また彼は技術者として放送に対しての一家言をもっていた。私も別所氏とは有楽町界わいで、よく飲み、また麻雀を囲んだりした仲でもあった。
 公述人席に起った別所氏は「こんにちほどラジオ放送の重要性を感ずるときはない。しかも複数の放送局ができることは国民の待望である」と、まず法制定に対して賛意を表したあと、「しかしながら現段階では、混信や技術的な面からみると障害が少なくない」と切り出した。
 「それを端的に申しますならば、東京、大阪という地域におきましては、現在NHKが非常に強力な放送をしております建前上(民放が)五百ワットそこらのものでは、とても(今の)受信機では聞こえはしない。
 したがって、それは企業としては成り立たない(中略)。日本のようにこれほど放送の普及している国において、また文化の国際水準の高い国において、このようなおそまつな受信機を持っている国は世界中どこもない。
 民放の許可を行う前に、何としても受信機の改造が必要であり、どのような電力でも受信でき、また混信を分離できるものでなくてはならない。そのためには全国のラジオ商組合を動員するとか、これの指導と受信機改善のため国家的な措置が必要である」と強調した。
 次いで、早稲田大学教授の吉村正氏が行政学者らしく「組織及び行政監督」の面からの意見を述べた。
 その第一は日本放送協会の経営に関する規則の中で、経営委員会の自主性が非常に少ないことである。経営委員は国会の同意を得て総理大臣が任命するが、同委員会が協会の運営計画(経営方針)を樹て、これを電波監理委員会に報告し、電波監理委員会はそれに意見を付して内閣に提出、内閣がこれを国会に提出して同意を得るという方法であるが、これは、経営委員会に究極の権限がまかされず、責任の所在が明確でない。
 また会長を選ぶ経営委員会の中に会長が含まれているのはおかしい。諸外国の例からも、もっとスッキリしたかたちをとるべきだ、と常識的法理論を展開している。
(第54回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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