実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第57回

「公聴会・協会の修理業務に反対意見」 」

第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
 公聴会では、村岡さんのあとは辻二郎(科学研究所主任研究員)博士だった。
 辻氏は①民放の設立によって放送が複数化することは賛成、②そのためには選択性のある受信機、部品の格付、認定を国または指定機関を設けてはどうかと発言した。
 柳沢健氏は、長年の海外在住(注・外交官)経験などを参考に、各国における放送の現状を述べ「地域放送」の重要性と海外(国際)放送が活達に行えるよう要望した。
 法制、評論家、外交問題等の専門家と続き、小川忠作氏が指名された。
 小川氏は当時、品川駅前に「小川忠作商店」を経営しラジオ受信機の製作販売にあたるかたわら、「全国ラジオ協同組合連合会」の会長として業界のリーダーシップをとっていた。また業界の中でもっとも高い教育を身につけた人といわれ、加えてその温厚篤実さは業界の信頼も厚かった。
 その小川さんは開口一番「第一に、われわれの結論を先に申し上げたいと存じますことは、われわれ業者といたしましては放送法案第九条第二項第七号の条文「委託により放送受信機を修理すること」及び同法第九条第五項の条文「第二項第七号の放送受信用機器の修理業務は、電波監理委員会が定期的に行う調査により必要と認めて指定した場所に限り行うことができる」とありますが、この条文の全文の削除を要請する次第でありまして、この要求が容れられない場合は本法案に反対する」と旗色を鮮明にして業界の立場を強調した。
 そして小川さんは「全ラ連」が、協会(NHK)の修理業務に反対する理由を次のように主張した。
 一、協会の修理業務の実際面をわれわれ専業者の立場からみれば、技術的にもサービス面にも、業者としては信頼するほど価値のあるものではない。
 二、業者はラジオの普及のために、受信機の販売あるいは保守業務に専念しているのであって、民間放送実現とともに、さらにその企業の発展を期待するものであり、その素質と配置等に関しても、またサービス面についても何ら不安はない。
 三、電波監理委員会が必要と認めた場所に限りと言って、いかにも限定したようにとれますが、その認定いかんにより、広くも狭くもなり、極端な場合を想像すれば、日本全国をいわゆる必要と認めた場所とすることが可能であり、従って日本放送協会は、修理業務の範囲に関し監理委員会にいろいろと働きかけ、われわれ業者もまた自衛上、これが対策に狂奔せざるを得ないことになり、ひいてははなはだ好ましからぬ現象を惹起するおそれがあると思料されるので、かかる禍根を絶滅するためにも、前記関係の条項をすべて削除することが至当と考える。
 四、協会の行う修理業務は、営利を目的としてはならないはずの協会をして、営利に向かわせる危険があり、これまた前記条項の全面的削除を願いたい理由である。
 五、日本放送協会の受信機修理業務は、監理委員会が必要と認めた場所の認定いかんにより、われわれ業者と競争関係に立つようになることは明らかであり、協会はわれわれと比較にならぬほど、巨大な事業能力を有しており、われわれ業者の自由なる競争を不可能にし、少なくともこれを制限することとなるのであって、独占禁止法にいうところの、不当なる事業能力の格差を生ずる可能性がある。
 かかる状態が発生し、公正取引委員会に申し出まして、その排除処置をとってもらうようになるよりは、初めからそのおそれのある条項を制定しないことが賢明であると思う。
 小川氏はこういって、さらに「受信施設の保守を(法律制定によるほど)深慮するのならば、これに携わる保守技術者の素質、並びに施設を認むべき国家的認定制度の施策が講ぜられるべきである」と主張した。
 この小川さんの主張は放送法とその運用の中に生かされ、NHKの受信機修理とか相談については業者のいない地域のみに限られるようになったほか、受信機の保守技術者の資格認定等は、以後業者や電波技術協会によって実施されることになった。(第58回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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