実録・戦後放送史 第70回
「電波タイムズ発刊の経緯②」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
かくて間もなく電波タイムズ発行を支援するための電波庁の網島長官とNHK小松副会長との会談が目白の紅梅荘で行われ、私もこれに同席した。さらに電波タイムズ社の創立と経緯等について電波庁幹部とNHK及び筆者を含む三者会談が開かれた。
この日参会されたのは電波庁側から網島長官、長谷部長、荘管理、橋本経理両課長。NHK側は小松常務理事、金川庶務部長、池田幸雄経理部長、栃沢秘書課長らであった。
その席で私は先ず、電波庁とNHKが(この新聞を)何千部ぐらい購入してくれるかという打診をした。なかなか明確な線を出せないでいる電波庁側に対して、小松さんや金川氏は「当初何千部ぐらいだったら、やっていけるかね」と、まず私に質問の矢が飛んだ。「最低一万部ぐらいないと」と答えると、協会側は「それではNHKとしては、できるだけ部内に周知しなければならないから、取りあえず職員五人当たり一部を購入しましょう。役所のほうも応分にいかがでしょうか」と助け舟を出してくれ、電波庁の橋本経理課長も網島長官の顔を見ながら「どうでしょうか」ということで「役所も同額」と話は決まった。
そうしたやりとりの中で私は幸福の絶頂感にひたっていた。
それまで味わってきた幾多の苦衷が夢消し、今後はこれらの人々のためにも粉骨砕身を心から誓ったのである。
上野会談で、NHKと電波庁の買い上げ部数は一万部に満たなかったので、その翌日、電気通信省に小沢佐重喜氏(おざわ•さえき、現新進党小沢一郎幹事長の巌父)、鈴木恭一事務次官らを歴訪して協力を要請、また、海上保安庁に大久保武夫長官、国警(国家地方警察本部)の小野孝通信監をたずねて、それぞれ電波タイムズ創刊についての趣旨目的を説明、物心両面にわたる援助を要請した。
東芝、日本電気等の要路はもちろん、メーカー、ラジオ電気商、無線機器を扱う関係者にも洩れなく相談に歩き回った。当時まだ民間放送は申請中であったので挨拶程度だったように思うが、発刊を前にしての準備は並大抵のことではなかった。
しかし、国警の小野通信監も、大久保海上保安庁長官も「あなたが、おやりになるなら」と全面的に協力を約されたのは、今も忘れることはできない。
(第71回に続く)
阿川 秀雄

阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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