実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第73回

「新しいNHKの発足②」

第1部 新NHKと民放の興り(昭和25年)

 そして、その旧社団の解散総会が昭和二十五年五月二十五日、東京・有楽町の電気クラブで開催された。電波タイムズはそのときの模様を創刊号の紙面に、以下のように伝えた。
 「大正十四年以来、二十五年間にわたって、わが国の放送を育て上げてきた社団法人日本放送協会の会員は、全国で約七千名に達しているが、この日解散総会に出席したのは約三百名に過ぎなかった。
 まず網島電波監理長官から放送法制定の趣旨、目的等について説明のあと、古垣会長、山崎匡輔常務理事が新法の成立にともない旧社団の解散にいたる経緯等について詳細な説明を行った。
 出席者一同は、この説明を感慨深く聞き入るとともに、新しい時代の流れに即応した法人の改組を思い、また新しく発足する新協会事業の発展を心から祈念しながらも、二十五年の歴史と思い出に、しばし哀惜の情をかみしめていた。
 最後に協会側は長年にわたり社団(旧NHK)の発展に功労のあった人達に記念品を贈り云々」。
 なお、付記しておくと新NHKが旧社団法人から承継したときの資本(純財産)の総額は一億六千三百三十七万円であった。
 これは、特殊法人として発足する日本放送協会は、旧社団から承継した資産以外なにびとからも財政的な出資や協力を求めないという理由から、このような微々たる基本財産でスタートすることになったのである。
 したがって新NHKの経営は、法律の定めるところにより全国民からの公平負担金(受信料収入)ですべてがまかなわれることになったのはいうまでもない。 
 これについて網島電波監理長官は、国会で次のように説明している。
 「新しく生まれるNHKは公共的な性格をもっており、全国民が国会を通じてその業務の運営や財産等について必要な監督(協力)を行うという精神でこの法律はできております。つまりNHKは放送法によって目的が与えられる法人であって、民法による法人、商法による会社でもない。いわゆる「国民的な、公共的放送事業体、強いていえば全国民に基盤を持つ公共的な〝特殊法人〟である」として、その性格を鮮明に表現している。
        (第74回に続く)

旧社団の解散にあたり功労者に感謝状が贈られた。左から頼母木真六、矢野謙次郎氏

旧社団の解散にあたり功労者に感謝状が贈られた。左から頼母木真六、矢野謙次郎氏

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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