実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第75回

「記念すべき6月1日②」

第1部 新NHKと民放の興り(昭和25年)
 一方、NHKでも6月1日、午後1時から東京放送会館第一スタジオにおいて、放送法に基づく特殊法人の発足を記念する式典が開かれた。
 この模様は東京在職職員のほか全国の職員にもマイクを通じて伝えられ、矢野一郎経営委員長、古垣鐵郎会長から、交々次のような決意表明と新協会の使命についての訓示が行われている。

 矢野委員長 
 私ども経営委員会は、国会の承認を経て内閣総理大臣から指名を受けたが、私どもの使命は明らかに全国民の代表として働くべき使命をになっている。われわれは、あくまでも社会の世論、識者の意見、国民の希望を忠実に察知して、この大NHKの活動が、国民の福祉と合致するよう努力していかなければならない。
 この意味において経営委員会は常に外に向かって耳目を働かせる一方、その努力を経営の基本方針の樹立に集中し、これらの方針を実行に移すための仕事を会長に一任したい。

 古垣会長 
 日本放送協会は、ほんとうに国民とともにある公共放送企業体として再発足したが、職員の一人ひとりが工夫を凝らし、これを実現することに努力しなければならない。私ども八千の職員は、八千の心を一つに調和させ真の民主主義を探究するという勇気と努力を忘れてはならない。
 また全国にまたがる協会の大組織の末端にいたるまで、清新発剌と生まれ変わらせ、NHKが国民全体に信頼されるものとならなければならない。
 過去において安易な面があったとしても、もはやこれを振り返ってはなりません。同時にまた公共性をはき違えて、生気のない、また〝かたくな〟なものとなってはいけない。

 この式典のあと私は矢野経営委員長と単独会見をした。
 放送会館五階に新しく設けられた委員長室は、すべてグレーで統一され、照明も間接照明という落ち着いた雰囲気をただよわせていた。そしてこの部屋の主がまた瀟洒ないでたちであった。グレーに白い縦縞のダブルスーツ、同系の白い水玉模様のネクタイ、靴はエナメルであった。昔流にいえばダンディー(伊達男)というのだが、それが少しもキザッぽく見えない貫禄だった。
 「法律のことを言うわけではありませんが、今さらのように重い努めだと思っています。経営委員会というのは現場に口を出すことはしませんから、具体的にどうこういう発言はできません。
 私は保険屋(第一生命社長)ですから、NHKも同じように全国民から信頼され愛される存在になること、それだけですね」
 物やわらかに矢野さんは、しかもソツのない応対で、それでいて私に〝二の矢〟を継がせない〝匠(たくみ)〟のようなところがあった。(第76回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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