実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第76回

「電波監理委員会が始動①」

第1部 新NHKと民放の興り(昭和25年)

 さて、発足後数力月間の電波監理委員会の活動といえば、電波法、放送法を実際に運用する(無線局の免許等を行う)ために必要な諸規則(電波監理委員会規則、政令、告示など)の制定作業が焦眉の急だった。
 というのは一般人は法律の施行があった以上、すぐにでも無線局や放送局の免許が行われるような錯覚を持っていたからである。
 とくにそのころ全国から出されていた民間放送局の申請件数はすでに70近くにも達し、これらの人々の“電監詣で”では日夜の別もないほどで、また情報を求めて私のところ(電波タイムス社)に訪れる人も〝ひき〟も切らなかった。  
 こうした動きに対して電波監理委員会は発足後ただちに「免許の基盤」となるべき委員会規則すなわち「無線局及び放送局開設の根本的基準」を制定する作業にかかり、その基準に基づいて申請を受けつける、という方針を発表した。
 最初にとりあげられたのが「無線局(放送局を除く)の開設の根本的基準」であった。
 以前にも説明したように、電波監理委員会が諸規則および重要案件等の政策を決めるときは、電波法の定めるところに従って、すべて「聴聞(ちょうぶん)」を行って制定することがきめられている。
 この「無線局開設の根本的基準」案は25年8月1日の委員会で成案し、広く利害関係者の意見を求めるため、主任審理官に柴橋国隆氏を指名した。
 これが電波施行後初の聴聞である。この「聴聞」について、一般には〝ちょうもん会〟と呼ばれ、一種の公聴会の如く理解されがちであるが、いわゆる「公聴会」とは全く異なる性格のもので、「電波監理委員会聴聞規則」によって実施されるものである。
 たとえば聴聞の結果は裁判の第一審と同等の権限が与えられているなどの意味を持つ。
 したがって、聴聞に出席するものは、事前に「準備書面」を提出し、聴聞開始に当たっては人定尋問から宣誓まで行われる。
 さて、その画期的聴聞が開かれたのは1950年8月18日のことであった。ちなみに聴聞の議題は「事案」といわれ、事案以外の発言はできないことになっている。
 この第1回聴聞の情景を回顧すると、先ず柴橋主任審理官が、おもむろに自らの官姓名と身分等を告げたあと、利害関係者として出席を求めた電気通信省をはじめ関係各省庁(の通信担当者)、無線通信工業会、漁業団体等の出席者全員の人定尋問(氏名及び身分の確認)を行い、同時に役所側から出席の部課長らの氏名その他の確認を行ったのち、当日の「事案」の趣旨説明を求めた。
 これに答えて長谷長官は「この根本的基準は、放送局を除くすべての無線局の免許に関する基本的方針を定めるものであって、①公衆通信業務無線局②公共業務用無線局③漁業用海岸局④実験局⑤簡易無線業務用無線局等の各無線局の免許基準について定めるものである」と、その「定義」を具体的に説明し、可及的速やかに、これを決定し免許を促進したい、との方針を明らかにした。(第77回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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