実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第81回

「放送局開設の根本的基準・聴聞④」

 まず「ブランケット・エリア」についての当局案では「標準放送を行う放送局の地上波の電界強度が毎メートル300ミリボルト以上の区域をいう」とあった。  
 いわゆるブランケット・エリアとは「標準放送(中波ラジオ)の放送局の近傍では、その放送局の電波が強いと他の放送局の電波を受信しようとしても受信できない区域がある」と電波用語辞典にあるが、要するに、あるラジオ放送局の送信所(鉄塔)の直下及び一定地域では、その局の電波が強過ぎて他の放送局の電波をうけられない。

 したがって民家がたくさんあるところに送信所を建てると、その住民は〝そこの局〟以外の放送が聞こえなくなるから、そうしたことのない地区に送信所の置地を選定しなければならない。
 したがって、そのエリア内の世帯数をどれ位にするのが適当かということで大きく議論が分かれた。
 また当時は今日のように分離度の高いラジオ受信機が、あまり普及していないこともあって、その置局をどこにするかが問題となった。

 また、それについてもNHKと民放の場合では、地域によって放送電力に差があるため意見が分かれ、当局側は3人の証人を出頭させて意見を述べさせたりした。

 次に問題となったのは第3条の⑤の番組編集の項だった。すなわち「その局の放送番組の編集が、特定の宗教だけの布教を目的とするものでなく、一般に認められた総ての宗教に等しく利用の機会を与えるものであること。その局の放送番組の編集が特定の思想だけの宣伝を目的とするものでないこと」とあるのに対して、朝日放送その他から「言論、表現の自由を認めた憲法を制限するような規定は違憲である」と抗議に似た発言があった。

 これに対して電波当局は、当時憲法学者として著名な東大教授宮沢俊義氏を証人に立てた。宮沢氏は「この条項は宗教の自由を否認したものではない。むしろ特定のものだけを対象にしたほうが憲法違反になるのではないか。
 憲法はすべての国民が公平、平等であるということであって、いわゆる無制限な自由は許されない」と憲法学者らしい〝うんちく〟を傾ける一幕もあった。

 このほか技術問題をふくめ、将来に向けては不確定要素も多いので、もっと時間をかけ、あるいは暫定基準にせよという要求もだされたが、「それでは、かえって免許が遅れる」ということになり、さしも波乱にとんだ聴聞も25日午後5時閉会した。
(第82回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

是非、感想をお寄せください

本企画をご覧いただいた皆様からの
感想をお待ちしております!
下記メールアドレスまでお送りください。