放送100年特別企画「放送ルネサンス」第3回

吉田 眞人

(一財)全国地域情報化推進協会理事長

吉田 眞人 さん

吉田眞人(よしだ・まびと) 1960年生まれ。大阪府出身。京都大学法学部卒業。85年、郵政省(現総務省)入省。2017年、総務省大臣官房総括審議官(情報通信担当)、18年、総務省国際戦略局長。19年、総務省情報流通行政局長。20年、総務審議官(国際担当)。21年、総務省退官。22年、U―NEXT HOLDINGS顧問(現職)。24年、一般財団法人全国地域情報化推進協会理事長(現職)

吉田 眞人さん インタビュー

強調したいのは「リニアな総合編成」を残すこと

2024年9月9日

ご自身と放送との関わりについて

私は公務員だったので、放送については、まずは法律、つまり放送法を基本としてお話しすることにしている。放送法というのは大変良い法律だと思っている。日本には約2000本の法律があるが、その中で法文中に「民主主義」という言葉が明記されているものは3本しかない。他の2本は平成になってからのものだが、放送法は戦後間もない昭和25年の制定である。この時代に、「民主主義」という言葉を法の目的規定に含めたのは、新しい憲法のもとで、放送の自主自律を重視することで、新しい社会を発展させていこうという強い意識が感じられる。この放送法の下で、放送は日本の民主主義社会を発展させるための活動であり続けてきたと認識しており、今後もそうあってほしいと願っている。

放送開始から100年が経ち、放送がこれまで果たした役割や位置づけについてどう考えるか

ここでは放送について主に地上波を念頭に話をする。まず放送は日本の社会においてソーシャルコンバージェンス(社会的融合)を促進する機能を果たしてきたと考えている。異なる文化や社会背景を持つ人々をひとつにまとめ、社会的な価値観や行動様式を共有する基盤となり、さらにその際、国内の各地域の様々な特色、すなわち地域性が加味されたバランスの取れた社会の醸成に重要な役割を果たしてきたのが放送だ。例えば「言葉」についてだが。1925年に、日本で初めてのラジオ放送が始まったが、このラジオ放送が、いわゆる標準語の全国普及に大きな影響を与えたといわれている。ただ一方で、それにより地方の方言や文化が消滅したわけではなく、地域ごとに放送局があり、地方の文化や社会的背景を守りながら放送が行われている。日本の放送の仕組みは、多元性、多様性、地域性を持ちつつ、全国的に社会をまとめる効果と地域独自の文化を守り育てる役割をうまくバランスを取りながら発展させていくことに貢献してきたのではないかと考えている。

その役割を事業環境などの変化で果たし続けられるのか

端的に言うとインターネットの台頭により放送の役割が大きな影響を受けていることは否めない。バランスの取れたソーシャルコンバージェンスの維持発展という点で、放送の果たす機能の効果、重要性、比重が相対的に低下してきているのは間違いないと思う。ソーシャルコンバージェンスの対義語はソーシャルダイバージェンス(社会的発散)になるが、これはポジティブに捉えると社会的多様性につながるものと言えるが、ネガティブに捉えると社会的分断、分裂につながるということもできる。敢えて単純化していえば、放送に比してネット上の情報は断片化された形で提供されるものが多く、それがソーシャルダイバージェンスを加速化する方向に機能しているのではないかと懸念している。

それは放送側の出し手、作り手が何か変わってきたり、劣化してきたからそうなっているのか

図式的にいえば、放送とはコンテンツの制作とコンテンツの配信の組み合わせだ。配信については、媒体としてはエア(空中波)を中心に、放送事業者が編成した形式で配信するリニアサービスとして提供されている。さらには、配信されたコンテンツが、テレビ受信機により視聴されてきたという環境があるわけだ。このうち、コンテンツ制作についていえば、放送局の人たちの番組づくりへの姿勢、作り手の意識といったもの、さらにはコンテンツの品質自体が、ネットの台頭によって大きく変わっている、品質が劣化しているとは思わない。しかし他方で、配信面、受信環境面では、ネットの発展、スマホなどのデバイスの普及により多大な影響を受けているのは明らかだ。「若者はテレビを見なくなっている」と言われて久しいが、そこには「テレビを持っていない」「テレビ番組がそのままネット配信されない」「番組内容が若者の好みに合わない」「番組形式がスマホによるオンデマンド視聴に合っていない」など様々な要因がある。コネクティッドTVの普及によりテレビは保有していても、そこでの視聴はネット配信が中心という人たちもいるし、逆に、TVerやNHKプラスによってネット環境で放送局が作ったコンテンツを視聴する人たちもいる。いろいろな要因がどのように関係しているのかを分析する必要がある。〝放送VSネット〟という大雑把な枠組みの議論は建設的ではないと思っている。

放送の公共的使命について

NHKも民放も自分たちの公共的使命というものを非常に強く自覚して、社会のために自分たちが貢献していかなければいけないという意識を強く持たれていると思う。ただ、一方で広告収入の減少やデジタル化に伴う設備投資の増加など、従来のビジネスモデルでは経営が厳しいという現実の課題に直面しているというところではないか。放送法には「(NHKは)豊かで、かつ、良い放送番組の放送を行うことによって公衆の要望を満たすとともに文化水準の向上に寄与するように、最大の努力を払うこと。」という規定がある。これは直接的にはNHKの責務として規定されているが、民放も目指すところは同じだと思う。視聴者の求める情報を放送番組として適切な形で提供していくことは放送法の目的にある「健全な民主主義を育てる」ことにも繋がる。ネットの台頭によって膨大な情報に接することができるようになっているが、その情報の信頼性、情報提供者の信頼性を直ちに判断することは難しい。既存の伝統的な放送局には、信頼のおける正確な情報の提供者の代表としての地位を保ち続けてほしいものだ。

放送の終焉という声もある

重要なのは「放送の終焉」というときの「放送」とは何かということ。先に少し触れたが、コンテンツ制作と配信とを分けて考える必要がある。当然のことではあるが、コンテンツ制作という活動がなくなることはない。一方で、テレビの設置率や視聴者、視聴時間は減少傾向にある。その中で経営が苦しくなる放送事業者はでてくるだろうが、そのことと放送の終焉とは別次元の問題だ。私は、放送については、地上波の「リニアな総合編成」という情報提供形態が決定的に重要だと思っている。健全な民主主義を発展させるために、国民が求める正確で信頼できる情報を提供し、それをリニアな総合編成で提供し続けることが放送の中核的な役割だ。言い換えると国民がいろいろ物事を考えるときにその取っ掛かりを提供していくのが放送局の役割ではないかということだ。もちろんオンデマンドタイプの情報提供も重要である。ただ、そこには、自分の欲しい情報だけを取り、いらないと思う情報は取りにいかない、いわゆるエコーチェンバー、フィルターバブルにつながるリスクも内包している。健全な社会を形成していくためには、自分とは異なる考え方の人たちの思考や行動に接していく機会を持つことは重要だ。ニュース、ドラマ、バラエティー、音楽などいろいろなジャンルが放送されていて、普段は自分の関心外にあるような情報がその中で引っかかる機会がある、それがリニア方式、総合編成方式の情報提供のメリットであり、それを体現しているのが今の地上波テレビである。このような情報提供形態が維持できなくなったときこそが「放送の終焉」であると思う。

信頼性、正確性という点はどうですか

信頼できる正確な情報の提供という点では、テレビ・ラジオの役割は健在である。テレビ放送を批判する者は大勢いるが、いざ災害が発生した際に、ネットでA地点に避難しろ、テレビ放送でB地点に避難しろと言われたとき、批判者でも多くの人はB地点に避難するのではないだろうか。もっとも、かつては正確性・信頼性はテレビ・ラジオの専売特許といえたかもしれないが、現在では多くのネットメディアも信頼できる正確な情報の提供に努力している。その意味では、競争環境は厳しくなっており、放送局も信頼性のある正確な情報提供という日々の営みを地道に積み重ね、この信頼性という貴重な資産を維持発展させていかなくてはならない。

放送とネットとの関係について

「ネットが放送に取って代わるか」という議論は、伝送路ベースではあまり意味がない。中長期的には、伝送路が電波ではなくIPベースのネットに置き換わることも十分に考えられるが、視聴者はそのことをあまり気にしないだろう。視聴者にとって重要なのは、結局はコンテンツの内容と提供形式である。視聴者は、オンデマンドであれリニアであれ、良いもの、面白いもの、役に立つものを求め、そうしたコンテンツは視聴され続けるだろう。テレビ局も、コンテンツという点では、既にNetflix、Amazon Prime、U―NEXTなどの配信事業者に自ら製作した番組を提供し、さらに彼らのオリジナルコンテンツの制作にも関与するという意味で既に共存している。一方で、提供形式面では、1日24時間365日のリニア総合編成を行うネット事業者はおそらく出てこないだろうから、この枠組みで視聴者をどのように確保していくかが課題だ。

放送へエールを

ドラマやバラエティー、音楽番組など、オンデマンド配信とリニア放送で視聴者にとって大差がないコンテンツは、オンデマンド優位になっていく可能性が十分にある。一方で、ニュース、スポーツなどのライブ感のあるコンテンツに関しては放送にまだ優位性があるように感じる。いずれにしても、オンデマンド配信、あるいはFASTのようなリニア専門チャンネルの配信だけでは社会インフラとしては不十分だ。繰り返しになるが、強調したいのは「リニアな総合編成」を残すことである。今後、伝統的な意味での放送市場は縮小するかもしれないが、放送業界には、まだまだ状況を打開する人材も技術も資源もあると確信している。健全な民主主義社会の発展を支えるために、正確で信頼性のある情報を提供するという役割を引き続き担っていくという意味で、放送がなにものにも代えがたい価値を有し続けていくことを強く期待している。

この記事を書いた記者

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田畑広実
元「日本工業新聞」産業部記者。主な担当は情報通信、ケーブルテレビ。鉄道オタク。長野県上田市出身。
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