放送100年 特別企画「放送ルネサンス」第11回

奥村倫弘

東京都市大学メディア情報学部教授

奥村倫弘 さん

奥村倫弘(おくむら・みちひろ)氏。東京都市大学メディア情報学部教授。専門は「インターネットメディア論」。1969年大阪府出身。同志社大学卒。1992年読売新聞大阪本社入社。1998年にYahoo! JAPANに移り、Yahoo!ニュース・トピックスの編集長を長く務めた。2019年4月から現職。著書に「ヤフー・トピックスの作り方」(光文社、2010年)など。

奥村倫弘さん インタビュー

報道だけは維持されて行くことに期待

2024年10月21日

 

―ご自身と放送の関わりについて

私自身は1969年生まれで、社会人になるまでインターネットはなく、新聞・テレビが唯一の情報源であり、ニュースにしろ、娯楽番組にしろ、テレビ全盛の時代だったのでそこにどっぷり浸かっていた。その後、新聞記者になってからはテレビを見なくなった。それは、仕事が忙し過ぎて見る時間が無くなったためで、さらに、94年ぐらいからは、インターネットを触り始めたこともあり、一層テレビに接することがなくなっていった。

―放送の役割や位置づけをどうみているか

まず間違いなく日本の文化を作ってきたメディアであり、日々我々が知らなければならないこと、知りたいことを伝えてきた。そういう意味でも民主主義の根幹を維持してきたメディアだと思う。新聞も報道・ニュースの専用媒体であるが、テレビは、報道以外にもバラエティーやドラマなどのコンテンツもあり、報道と他の番組を一緒にして議論することはなかなか難しい。バラエティーに関しては、時代の変化により、多様性など様々なことへの配慮した表現が求められるようになっている。昔のような、良く言えば自由な番組作りができなくなってきており、それを息苦しいと感じるのか、時代への対応と捉えるのかは、それぞれだと思う。ただ、息苦しく感じる人たちは、Netflixなど放送業界以外のコンテンツ制作力を持った企業・業界に転職していくということが起きている。
これに対して、報道に関して言えば、あまねく広く情報を届けることに責任感を持ってしっかり、やっている気がする。ただ、昔に比べると、報道のバラエティー化がある意味で究極まで進んでしまい、バラエティーなのか報道番組なのかわからないものも増えてきた。間口を広げたという点では意味があるかもしれないが、どうしても大衆受けするようなニュースばかりを取り上げ続けていることが目に付く。個人的にはあまりいいことではないと思っている。また危機感も持っている。
この先、報道をどうするのかについては、放送局自体が考えていかなければならない課題だと思う。世の中に位置づけられる報道の役割は変わらないが、弱体化しているところはあると感じている。

―放送とネットの関係をどう考えるか

放送とネットの違いでいえば、ネットメディアは、基本的に人に話を聞いて記事を書く取材ができていない。事象を解説する力は、新聞やテレビより上かもしれない。しかし、第一報に関して言えば、例えば、ネットメディアは官公庁や企業の広報が発表したことを、そのまま流すだけでよいが、新聞や放送の強みは、発表を受けて、発表した当事者に質問する、さらにそれを検証して書く。こうした対応は、ネットメディアも全くないわけではないが非常に弱いのが現状だ。人に話を聞いて検証して世の中に出すという機能、「取材力」については、マスコミ、なかでも新聞やNHKに定評があるというのが一般的な見方だろう。
ただし、そうした取材力を今後、どう維持強化して行くのか、非常に難しい。マスコミが取材力を売り物にするだけでは、お金儲けができないことが約30年かけてわかってきた。もしそれができていれば、新聞社も今でも安泰だったはずだ。取材や報道が経済合理性のない活動だと分かり、民放はバラエティーやドラマで儲けて、その儲けを報道に回すようになるだろう。

―ネット社会における放送の今後の対応や課題について

テレビは、自らコンテンツを作るだけではなく、それを放送波に載せるところまでやっている。新聞も自社で紙に印刷し、それを販売店に届けている、このように、放送も新聞も、流通段階までを垂直統合していた。
しかし、インターネットの時代になって、その流通の部分が主に海外のプラットフォーマーに押さえられてしまったことは、大きな変化だ。ネット時代に、その流通の仕組みを全部、自ら持つのは難しいが、ある程度、流通まで自分のコントロール下に置くことは非常に重要だ。
こうした観点から言えば、新聞では、新聞の共通プラットフォームを何とか作ろうという動きがかなり昔からあり、実際に2010年ぐらいにプラットフォームを立ち上げたことがある。ところが、その内容が社説読み比べとか、一部の新聞好きしか見ないようなコンテンツだけだった。そのうえ、新聞各社の足並みを揃えることができなくなって、空中分解してしまった。
一方、放送では、ラジオで言うえばradiko、テレビで言えばTVerなど、業界独自にプラットフォームを築いた。そういう意味では、放送も無為無策だったわけでは全然ない。
ただし、テレビは、まだ非常に迷っていると思う。インターネットが出てきて、もう30年になる。新聞の失敗を横目に見ていて、放送業界はまだ大丈夫だと考えている方がおかしいし、それで何も決められないのは、あまりに遅すぎる。

―放送への提言

基本的にジャーナリズムというのは、公権力に限らず、民間であっても、不正を暴くことや、世の中で起きている問題や課題に対し声を上げることが役割だとすると、制作されるコンテンツや情報は、悲観的であったり、不幸に溢れたものになったりせざるを得ない。新聞もそうだが、不幸な気分になるので読みたくないという言葉も耳にする。
また、日々の放送、あるいは新聞を読んで、どれだけ人生の選択に役に立つのかという点だ。世の中の商品は、単純に分けると消費財、投資財、もしくは公共財のいずれかとなるが、報道は、みんなが読みたいものや、すぐに役に立つものばかりを提供するというより、出さなければいけないものを出すという思いでやっている。そうなると報道は公共財の性格が強い。そうするとやはり儲からない。
だから、放送でいえば、公共放送であるNHKが大事になる。NHKは最後の砦だ。新聞はかなり危機的状況で、全国紙やローカル紙は残るかもしれないが、20年後には今の形では残らない。テレビもそうなる可能がある。規模の縮小が避けられないこうしたメディアに報道の役割を果たせ言っても多分無理だと思う。このため全国あまねく拠点を持っているNHKが、公共放送として、いずれなくなっていく報道部門を担っていくべきと思っている。報道は一番縮小してはいけないところだ。
一方、民放、ローカル局の取材力や取材網が重荷なのだとしたら、報道部門については新聞社と上手に組んでWINWINの体制を作ることができたらいいのではないかと思う。

―最後に、放送への期待を聞かせてください

いずれにしても、放送において、本当に無くなってしまって困るのは報道だ。時の政権がロシアのプーチン大統領のような存在に支配されてしまっても、誰も声を上げられない状態になってしまう。しかし、健全な報道を維持するためには、お金が必要だ。ネットメディアのビジネスモデルは概ね既に出尽くしていて、いまの放送の資産をネットに、そのまま出して行ってもお金にならないことは分かっている。伝送路が電波なのかIPなのかということよりも、報道の理念と、それを実現するためのビジネス的視点を持つことが必要だ。過去長きにわたって、放送業界、新聞業界も含めて民主主義の根幹を支えてきたことは間違いなく、報道の機能だけは維持されて行くことを期待している。

この記事を書いた記者

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成澤誠
放送技術を中心に、ICTなども担当。以前は半導体系記者。なんちゃってキャンプが趣味で、競馬はたしなみ程度。
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