放送100年 特別企画「放送ルネサンス」第12回

飯田 豊

立命館大学教授

飯田 豊 さん

飯田 豊(いいだ・ゆたか)氏。立命館大学産業社会学部教授。専門はメディア論、メディア技術史、文化社会学。1979年、広島県福山市生まれ。東京大学工学部機械情報工学科卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。著書に『テレビが見世物だったころ:初期テレビジョンの考古学』(青弓社、2016年)、『メディア論の地層:1970大阪万博から2020東京五輪まで』(勁草書房、2020年)、『メディアの歴史から未来をよむ』(NHK出版、2024年)などがある。現在、放送倫理・番組向上機構[BPO]青少年委員会委員、関西テレビ「カンテレ通信」のコメンテーターなどを務めている。

飯田 豊さん インタビュー

「テレビの情報だから安心」放送が信頼を維持していくための強み

2024年10月25日

 

放送の歴史を技術面から研究されてきて、どの様に分析されているか

 私の研究の視点は、従来のジャーナリズム論やマスコミュニケーション論とは少し違って、仕組みとしての放送を含めて、テレビを支える技術面に着目して、その歴史を研究している。2016年に「テレビが見世物だったころ―初期テレビジョンの考古学」を上梓した。そこにも記したが、テレビジョンは「遠隔地の」という意味の「tele」という接頭語と、「映像」を意味する「vision」という語から合成された言葉で、テレビは「遠くを見る」という意味になるが、その技術は必ずしも今の放送だけを想定していたものではなかった。「テレビ=放送」という結びつきを自明なものとしないで、例えば映画館ならぬテレビジョン館が戦前から構想されていたり、テレビ放送が始まる前からテレビ電話の開発が行われていたりしたことを、テレビ史の一部として再評価してきた。放送と通信、テレビとネットは区別して捉えられがちだが、そういった区別を前提にしない見方もできるのではないか。今は電波を介さなくても、インターネット経由で〝テレビを見る〟ことができる。必ずしも放送という仕組みに支えられて、テレビが成立しているのではない。かつては不可分だった「テレビ」と「放送」は、今はもう離れてしまい、互いの輪郭が曖昧になっている。

これまで、わが国で放送が果たしてきた役割をどう評価しているか

 上智大学の佐藤卓己教授が2008年に「テレビ的教養―一億総博知化への系譜」という本を書かれていて、テレビを「教養のセーフティネット」という捉え方をしている。テレビは戦後の総中流意識を体現した形で最近まで延命してきた。1980年代以降、国民の間で様々な格差が広がったが、〝普通の日本人〟を想定した放送を続けてきた。1970年代頃からライフスタイルが多様化する中で、放送がそれをどう受け止めるかという議論も繰り返されたが、回答を先送りしつつ、どのような人びとに対しても通用する番組を目指してきた。回答を先送りしてきたことで放送は自分の首を絞めてきたという側面がある。例えば、客観報道に支えられた放送ジャーナリズムが健全に作動していた時代であれば、熟練のジャーナリストやアナウンサーが個性を発揮し、ニュースアンカーとして支持された。しかし、テレビによって延命してきた日本人の総中流意識が完全に崩壊し、多様な情報環境のもとで言論が細分化している現在、これまでと同じ報道姿勢では、人びとの政治意識や生活感覚の多様性に充分な目配りができなくなってしまった。そこで今や、多くの報道番組や情報番組のキャスターは、決して権威的に振る舞うことなく、スタジオで無難に話題を循環させる形を取らざるを得ない。ガラッと切り替えて、新しいフォーマットを開発してほしいが、それができないままジリ貧になっているようにみえる。

ネットが普及し、若者の〝テレビ離れ〟が進む中、放送は生き残れると思うか

 まず、〝テレビ離れ〟とは何を指しているのか。歴史的にみると、過去の新聞や雑誌では、遅くとも1968年には〝テレビ離れ〟が記事になっている。1971年の記事によれば、板橋区のある中学校で、テレビを全く視聴しない日があると答えた生徒がクラスの4分の1もいたという。この中学生は物心ついたときから家にテレビがあった最初の世代。当時の〝テレビ離れ〟を、あるキー局が分析しているが、経営合理化、制作費の削減に加えて、同じ作家や出演者ばかりを起用することによるドラマのマンネリ化、音楽番組も変化のない出演者と同じ曲の繰り返し……などが背景にあるという(「朝日ジャーナル」1971年12月10日号)。今のテレビに投げかけられている苦言と同じであり、この時代に指摘されているテレビの課題は、ずっと先送りにされて今に至っている。それは当然、1990年代頃まで、テレビに取って代わる強力なライバルが出てこなかったことも背景にある。ビデオデッキが普及したり、テレビゲームが出てきたりするたび、これで〝テレビ離れ〟が加速すると繰り返し言われつつ、インターネットが普及するまでは、テレビを脅かすほどのライバルにはならなかった。今は、SNSやゲームの利用時間が増大して、生活時間の中でテレビ視聴の占める割合が相対的に小さくなっている。若者だけでなく、中高年までそれが拡大している。視聴者がテレビに対して不満に思うことが昔から変わっていないとすれば、インターネットをライバルとして意識するばかりでなく、そこを直視しなければいけない。もうひとつ、もったいないと思うのは、放送という世界への入口が見えづらくなっていること。新聞のラテ欄は、放送にとって、ものすごく重要な意味を持っていた。新聞と放送は複合的なメディア環境を構成していて、かつては新聞のラテ欄を見てテレビをつけるのが、多くの家庭で当たり前だった。少なくとも私の世代までは、放送の全体像を新聞から得ていた。しかし今は、そういう全体像が見えづらくなっている。テレビには電子番組表(EPG)があるが、紙面に比べると一覧性が乏しい。スマホで見る番組表に至っては、覗き穴からラテ欄を読んでいるようなもの。新聞のラテ欄の一覧性をデジタルメディアに転換できていない。それは放送にとって大きなデメリットになっている。

放送の技術史を研究するなかで、放送の強みとは

 放送の強みというと、たいてい災害の話になってしまうが、たしかに放送は災害有事に強い。技術的にシンプルで、古い技術だからこその強靭性がある。ネットのインフラは様々なアクターが関係しているのに対して、放送は上流から下流まで一貫している。また、ネットの方が情報の拡散が速いといわれるが、全く同じ情報を一斉に伝えられる同時性という放送の強みに、まだネットはかなわない。特に、現在のネットが放送に及ばないのは、やはり報道だと思う。バラエティー、エンターテインメントに関しては、近い将来、放送はネットに完敗するかもしれないが、NHKには全国に遍在する支局、民放にはニュースネットワークという強みがあり、これらを生かす基本は報道だ。放送の仕組みを維持するのがコスト的に難しくなっているのは、非常にもったいないし、取り返しがつかないことだと思う。

今後の放送とネットの関係はいかにあるべきか

 メディア史の観点からいうと、古いメディアと新しいメディアは、地層のように重なり合って相互に影響を与え合っている。放送とネットを対立的に捉えるのは間違っている。例えば、ユーチューバーの多くは、90年代のテレビのバラエティーの演出手法を強く取り入れている。画面上の出来事にテロップでツッコミを入れるなど、テレビはユーチューバーの動画術にものすごい影響を与えている。長年、テレビによって培われてきた表現手法の多くの部分がインターネットに継承されていて、テレビとネットは親子のような関係。すでに子どもが親から自立している中で、子どもがやっていることを親がまねするのか、それとも老親は別の道を探るのかが問われている。ネット動画の後追いをするようなテレビ番組も増えているが、それは悪手だと思う。テレビはネットにはない強みを生かしていくことが望ましいと常に感じている。

ネット時代の放送の役割は

 もし近い将来、放送によって培われた番組文化を、放送局がネットの世界にもっと移行させていくとしても、そこには外資を含むライバルが無数にいる。ネット上の様々なコンテンツと横並びになっては意味がない。繰り返しになるが、ネットの後追いではなく、放送というドメスティックなインフラの強みを、徹底的に考え抜いた方がよいのではないかと思う。今の事業規模を維持することは難しく、縮小せざるを得ないかもしれない。もちろん、テレビが視聴されなくなったなかで、新聞と同様、ネットに活路を見出すしかないことも事実だが、放送とネットとの相乗効果をどこまで出せるのかが問われている。また2024年は、ネット上の偽広告による投資詐欺被害が拡大したことが記憶に新しい。ディープフェイクと呼ばれるAI技術を使って、著名人が投資をうながす偽の画像や動画が拡散され、それに騙される人びとが続出した。なりすまし被害に遭った著名人たちがみずから抗議したこともあり、SNSの運営事業者(プラットフォーマー)に対する規制を求める声が強まった。このようにインターネットでは、あからさまな詐欺広告を含めて、凄惨なものや扇情的なものなど、情報の品質が問題視されている。それに比べれば、テレビの情報だから安心、という感覚はまだ根強い。表現と規制の兼ね合いで試行錯誤してきた歴史は、放送が今後、メディアとしての信頼を維持していくための、唯一無二の強みにもなるかもしれない。それはひるがえって、放送の歴史が、インターネットの未来をつくるということでもある。

この記事を書いた記者

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田畑広実
元「日本工業新聞」産業部記者。主な担当は情報通信、ケーブルテレビ。鉄道オタク。長野県上田市出身。
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