放送100年特別企画「放送ルネサンス」第15回

鈴木おさむ

スタートアップファクトリー代表

鈴木おさむ さん

鈴木おさむ(すずき・おさむ)氏。1972年4月生まれ千葉県千倉町(現・南房総市)出身。19歳の時に放送作家になり、それから32年間、様々なコンテンツを生み出す。2024年3月31日をもち放送作家・脚本業を引退し、現在は、TOC向けファンド「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、その代表を務める。

鈴木おさむさん インタビュー

時代にマッチした形に〝進化〟させるべき

2024年11月8日

―ご自身と放送との関わりについて

小学校高学年の時に「笑っていいとも!」が始まった。給食の時間に僕の担任の先生だけが、何故か「笑っていいとも!」を見せてくれた。それによって、バラエティーがより好きになっていた気がする。時が過ぎ、「とんねるず」が登場した。僕らの年代の多くは、「とんねるず」に憧れていた。テレビがとにかくキラキラして輝いていた時代に育った。
また、中学生の時に「夢で逢えたら」というコントの深夜番組があって、すごい〝作り手の匂い〟を感じていた。高校生になった頃、番組は午後11時半の放送時間になり、こういう番組を作ってみたいなと思ったのがきっかけでテレビの世界へ入ることになった。

―ネットが普及し、若者のテレビ離れが進む中、「放送終焉」の声も聞こえるが?

逆にテレビの時代は長すぎたのではないかなと思う。テレビも映画も含め、実際はすごい移り変わりが早く、ネットの後はスマホという具合に、エンタメの視聴の仕方も、どんどん変わっている。テレビ離れは、いつか絶対来ると思っていた。僕は2011年からサイバーエージェントと仕事をしたことをきっかけに、比較的早くネットの勉強ができたが、その時に、「いよいよ来るぞ」と感じ、たくさんのテレビの人にそのことを話したが、本気にする人がいなかった。今でも、本気でやばいと思っている制作者がどのぐらいいるのかと感じる。
テレビの一番の問題は視聴率だと思っている。視聴率という指標しかないままできてしまい、その見直しも遅かったのだと思う。
テレビは、1990年代頃からだんだん若者が見なくなってきた。そこで、2000年代になって全体の視聴率を落とさないためにF3層M3層(年齢50歳以上の男女視聴率)という分類を増やした。テレビ局も世帯視聴率を落としたくないため、F3層M3層に気に入られるようなもの作り、刑事ドラマや医療ドラマ、健康番組などが大量に増え、より若者にとって興味がなくなっていった。そうした時に、インターネットが登場した。視聴率という指標に向かって全力で進んできたが、ある時にスポンサーが、F3層M3層、さらにはF4層M4層に向けたテレビ番組のスポンサーになる意味あるのかと言い出し、初めてみんな焦った。その時には「時既に遅し」、だったという感じはする。

―なぜ視聴率に拘り続けたのか

色々な取材でよく聞かれるが、そういうビジネスモデルでやってきて、うまくいっていたからだと思う。この番組に何社のスポンサーが付き、結果として何億円を売り上げたということではなく、あくまでも視聴率というデータでやってきたビジネスモデルが限界を迎えている。時代の変化のなかで、スポンサーに頼らない番組作りを作ることもできたもしれないが、そこも含めて今まで本気で考えてこなかったことが大きいと思う。テレビの一瞬にして全国に知らせる認知能力は今も凄い。その力が強いからこそ、本気で危機感を持てず、蓋を開けたら売上の減少という形で出ているのではないか。

―ネットの登場への危機感も足りなかった・・・

視聴者にとって選択肢が増えたことは非常に重要だ。昔は映画一択だった時代にテレビが登場した。今回も同様にネットやスマホという選択肢が増えたが、その選択肢のことを、放送関係者は、あまり本気に考えてこなかった。しかし、みんなの好きなものが細分化している時代に、それが非常にマッチし、テレビのように、全員が共有できるものを1個だけ見せるというやり方が、かなり厳しくなっていた。また、例えばテレビは、時間を合わせて見なければいけないというこれまで当たり前と思っていたことが、ネットやスマホが出てきたことでとても面倒くさいと感じるようになるということなどに早く気づいた方がよかったと思う。

―テレビはネットとどうつきあうべきか

本来の放送の目的をどうやって安定して続けられるかというと、放送局だけが変わるという話ではなくて、みんなで新しいルールを作っていくことが必要だ。
例えば、放送コンテンツをインターネットで流すときの新しいルール作りも必要だ。NHKでネット配信の義務化が議論されているが、これまで想定していなかったから、例えばサッカーの放送権を買う場合も、インターネットで流してもよいとはならない。ネットで流せないとなれば、もう放送との同一性がなくなる。それでも放送と言っていいのかとか、そういった課題に対応するためルールも変えないといけない。矛盾することもいっぱい出てくる。新しいビジネスモデルを模索しながら、放送界もインターネットを前提にした新たな物作りをしていく必要がある。

―今後テレビは何をすべきか

何を指標に動くかということが重要だと思う。僕は今年の1~3月に「離婚しない男―サレ夫と悪嫁の騙し愛―」(テレビ朝日系)というドラマを作ったが、局からは視聴率よりも再生数、バズらせることをメインに作ってくれと言われたので、そこに振り切って制作した。結果、第1話は約450万再生を実現し褒められたし、視聴率にもつながった。当然、ゴールデン帯だと違うやり方があるとも思うが、時間によってそういう違いをつけるのも一つのやり方かもしれない。
また、日本のテレビが持っている可能性でいうとドキュメンタリーの分野があると思う。アメリカでは、ネット番組でドキュメンタリーは大変な人気があるが、日本ではそれほど当たってない。とすれば、テレビが制作するドキュメンタリーのコンテンツとしての価値を、テレビはもっと上げてあげたらいいのではないかとも思う。こうした番組は、時間がかかるためネットでやりにくい。

―放送は生き残るか

例えば、映画は僕らが高校生のときは洋画大ブームだったが、その後、ビデオが出てきてレンタルが流行って、映画館に行かないなんていう時代になって。でもそこから、スタジオジブリと踊る大捜査線などきっかけに、映画館に邦画を見に行くようになった。しかし、それはソフトだけではなく、ショッピングモールと一緒になったシネコンがいっぱいできたとか、映画界全体において、ものすごい改革が行われて環境が整ったことも大きい。この20数年間で映画界って、大変なイノベーションしていると思う。しかも、不動産に関わることまで含めて行っている。
その意味で、テレビも番組内容だけじゃなく、スポンサー収入だけに頼らない作り方などをもっと抜本的に考えるべき。クラウドファンディングとか、投げ銭とかいろいろ手段はある。これはただの一案だが、要するに番組の中身ではなく、その外側の仕組み、パッケージから変えていくことを始めないと、もったいないなと思う。それが成功した時のテレビのパワーはすごいと思う。とてつもない金額が集まって面白いものが作れるかもしれない。

―放送はこの先、そのように代わって行けるか

そうした動きが放送でなぜ起きないかというと、放送局に、放送をビジネスとして考える本当のプロのビジネスマンがいないからだと思う。プロのビジネスマンを外部から引っ張ってきて、コンサルで終わらせるのではなく、決定権を持たせて、営業も他の部署ももう全部その方針で動くようにする。何かやろうとしたら、最終決定権を持つ人に上げなきゃいけなくて、答えが出るまで2ヶ月かかるみたいなことは、今の時代成立しないと思う。それができればテレビは蘇るのではなく、やっていけるように進化すると思う。映画がシネコンを作ったことで進化したのと同じ。
放送局の中には、蘇らせたいとか、前みたいに元気にしたいという人がいる。今の経営陣はテレビ全盛期を知っている人たちのため、本気で抜本的に何かを変えなければいけないという所まで行かず、あの時代はよかった、もう一度あの時代に戻れるんじゃないかみたいな考えが頭のどこかにある。これらは〝NGワード〟にすべき。時代とともにすべては変わるわけで、時代にマッチした形に〝進化〟させるべきです。

この記事を書いた記者

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成澤誠
放送技術を中心に、ICTなども担当。以前は半導体系記者。なんちゃってキャンプが趣味で、競馬はたしなみ程度。
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