放送100年特別企画「放送ルネサンス」第19回

福田俊男

前放送番組センター会長

福田俊男 さん

福田俊男(ふくだ・としお)氏。1947年生まれ、山口県出身。1970年3月慶応大学卒業。1970年4月日本教育テレビ(現テレビ朝日)入社・報道局配属。1985年5月ニュースステーション配属。テレビ朝日常務取締役、民間放送連盟専務理事、テレビ朝日専務取締役、(一社)A-PAB(放送サービス高度化推進協会)理事長、(公財)放送番組センター会長。

福田俊男さん インタビュー

テレビは悪あがきしろ!

2024年11月22日

―ご自身と放送との関わりについて

 昭和22年生まれ。出身地の山口県は、テレビは昭和31年に民放1局とNHKが放送開始という典型的な初期のテレビ放送過疎地域。見るものはドラマよりも例えば野球とかプロレス。
 当時のテレビについての一番の思い出は、皇太子ご成婚のパレード中継だ。昭和34年日本中が沸き立つ明るい出来事で、パレードのテレビで中継は、母方の兄が経営する電機店の奥の板敷の居間に座布団を敷いて、正座しながら見たことを覚えている。当時は家にはまだテレビがなかったからだ。
大学時代に児童文学に興味を持ち始め、卒業後の就職先の第一志望は出版社だった。それと並行して、日本教育テレビ(現テレビ朝日)も何となく受けた。新卒の募集をしていないテレビ局もある中で、応募自由だったというのが大きな理由である。NHKを受けるというのは想像すらしなかった。
 運よく日本教育テレビに入社できた。それから足掛け55年、テレビの仕事にかかわっている。入社する前から東大安田講堂事件やよど号ハイジャックがあり、さらに入社の2年後にはあさま山荘事件が起きるなど、事件事故が多発。これらを中継するのがテレビの特性かと同時性にはぼんやりと魅力を感じた。
 入社後の配属希望は、言葉でしか知らない編成とか教育部門だった。しかし、実際に配属されたのは報道部門であり、結局報道局には通算29年在籍した。2000年代半ばまでは個社の仕事がほとんどだった。一通り報道の仕事をしたのち、85年に新しいスタイルの報道番組と評された「ニュースステーション」の立ち上げにかかわった。ニューヨークや大阪の朝日放送(現朝日放送テレビ)勤務も経験した。2000年代半ばから放送界全体に関わる仕事にかかわることになった。放送制度の在り方の検討等へも参加した。地上波テレビの完全デジタル化では、識者などの反対の声も「激励」と受け取り一つずつ問題を解きほぐし、国策として位置づけられたこの事業成功に参加できたことは印象深い。その後、BS放送の4K・8K放送の初期の普及促進にかかわった。平成17年の愛知万博でのNHKの8K映像相当のデモンストレーションには魅せられたのも何かの因縁だろう。放送番組センターにもかかわり、テレビの地上・衛星放送から番組の保存・公開と一通りかかわった。

―これまでの100年に対する評価を

 放送法に規定されているように、民主主義の発展に資するということがベースにある社会の公器の一つ。私の上司だった広瀬道貞元民放連会長(ひろせ みちさだ、元テレビ朝日社長)が常々強調していたのは、「民主主義のインフラ」だ。私も民主主義にとって欠かせないものだと思っている。その延長線上には、放送は、「生活者のセイフティネット」の役割がある。
 日本における民主主義を支えてきた存在であり、今後もその役割は揺るがないものにしなければならない。ただ私がいた局も含めて放送局全体が、「本当にそうなのか」と、問われる時代になっている。テレビを見る目が厳しくなると反面、人の目は分散している部分もある。様々な指摘があるが、それが間違っていれば、番組等できちんと反証していかなくてはならない。この位置づけは今後も変わらないと思う

―放送とネットの関係、その在り方について

 ニュースステーションに関わっていた90年代半ば頃に、インターネットを紹介する生番組をやったことがあった。これは大阪の朝日放送がテレビ朝日のスタジオで制作放送した。受け止めだが当時インターネットは、どちらかというと“オタク”ものであり、世間一般のみならずテレビ朝日社内でも冷ややかな、若干距離を置いてみていた。当時はその後テレビ局の脅威になるとは、考えなかったのではないか。

―放送とインターネットはなにが違うのか

 そもそも成り立ちが違う。誰でも1回のクリックで自由に大量の情報をできるのがインターネットだ。一方、放送の場合は有限である電波帯域を使用する。その帯域使用の免許取得には、相応の条件があるということを前提に事業を行っている。ある種の契約であり、テレビ放送の場合は、5年毎に免許更新する。それがテレビは社会の公器という考えにつながる。
 ただし、監督官庁は放送内容には踏み込まないという前提は当然であるが、放送法第4条に代表されるように、解釈の問題もありいまだに要不要の議論がある。また、電波法についても監督官庁が停波できる要件もあいまいのままである。実際に適用されたことがないのは幸いである。
 そういう問題はあるが、放送法があるという前提で事業しているので、インターネットには法規制がないからと言って、フェイクニュースや組織的に差別や名誉を棄損する内容を配信すれば、当然その報いを受けることになる。放送とまではいかないが、事業者の自主性を尊重した上で何らかの枠組みは必要となるだろう。

―現在の放送の問題点

 テレビは新聞と並んで、オールドメディアと呼ばれる存在になった。オールドメディアと言う表現には、やはり抵抗はある。ただし、日本語と英語では、意味は必ずしも一致はしてない。オールドが単に“古いメディア”なのか、“伝統的なメディア”なのかで大きく違う。
 前述のニュースステーションでは、最終的には当時の社長がスタートを決定した。その過程においては様々な意見が出たが、(当時において)今やってるテレビのニュースは、テレビニュースではない。テレビの機能をフルに使っていない。紙媒体を映像に移し替えたものに近い。新しい番組はテレビの機能を十分に生かして、真のテレビニュースを作るということを明確にした。それを言葉にしたことは大きかった。今のテレビは進歩していないのか、まだまだ伸びしろはあると前向きに考えたらどうか。先日放送された日本テレビの24時間テレビでは、様々な批判がある。ただし、何かやらないと。批判や評価の対象にすらならない。やってみることが重要だ。民主主義の発展に資するかどうなのかを考えながら、冒険をしてみる。『トライしてエラーをしてサクセスにどうやって結びつけるか、一方で劣化やアイデアの枯渇も見られ、人材確保育成も急務』。やらないことには、前に進まない。

―放送波による放送は維持するべきか

 オールドメディア陣営として言うと選択肢はいろいろあってもいい。何故、放送波に70年こだわってきたのか。安心・安全ということと、受信者にストレスがない。さらに、すでに完成されたインフラを持っており、これまではこれを全面的に切り替える意味(主に費用)を見いだせなかったと思う。
 平成10年の放送法改正でハードとソフトの分離が認められた。それ以前はハードとソフトの一致が大原則であり、2000年代前半分離論については特に民放は大反対していた。同改正時に、当時総務省は、これまで放送事業者が果たした役割については高く評価するという前提で、法律改正は、今後の事業者の選択肢を増やすものであることを強調した。いままで誰も選択していない。主として経済面の観点から、小規模中継局中心にNHKと民放が共同で利用する方向で検討が進んでいる、視聴者サービスに影響しなければ作業を急ぐべきである。
 ケーブルテレビに関しても、テレビ局がコンテンツを作って、ケーブル局のネットワークに流すという議論もあった。その延長はいろんな部分のメディアを使えばいいということになる。ただし、テレビの強みは、番組を制作し自前の伝送路(放送波)を使い、受信機まで届けるという一体型であるのも事実である。視聴者に、放送波の良さを、もう一度きちんとうテレビ局が説明した方が良いと思っている。

―放送波を使用しない放送は“放送”なのか

 放送の定義自体がここにきて曖昧になっている。改めて放送の再定義は必要であろう。
 例えばBBCも放送の将来の在り方に悩んでいる。BBC自身がどういうふうに考えているかを非常に苦しみながら打ち出している。一方、日本の公共放送であるNHKは、色々と考えてはいるのだろうが、自らの変革に関する発信が十分とは言えない。建前として受信料制度を盾に積極的には自ら打ち出さないということのようだが、しかし、分かりやすいビジョンやこうしたことをやってみたいということを積極的に発信して、受信料負担者に訴えるべきで、後出しじゃんけんととられるようなことは得策ではない。

―今後の放送の在るべき姿、放送への提言・注文・期待

 民放業界は過去幾つかの試練を乗り越えてきた。特に2011年~2012年の地上波完全デジタル化のときは直前のリーマンショックも乗り越え、全局落伍者なく成功した。これを一つのゴールと考えた経営者は多かったはずだ。ところが  この時期を見透かしたようにBS波では4K・8K放送が開始された。ネットの目に見える台頭と広告出荷量の逆転、加えてのコロナ禍もあった。
 これまでテレビ業界には成功体験はあっても、失敗はない。このため、今回も「何とかなる」「何とかなってきた」との意識が強く、生き残れると思っているようだ。危機感が希薄というと怒られるだろうが。
 テレビはもう悪あがきするしかない。“紳士たれ”は大事だが、事業において常識やマナーに反することを除けば、「そこまでやるのか」という部分までやっていかないと生き残れないかもしれない。もはや背に腹は代えられない、できることはもう何でもやるしかない。実際、各局とも提携したり、M&Aなど様々なことをやっている。番組や事業において、在京局の中で組んだりすることもでてきており、それを否定はできない。バラバラでやるよりも共通でやることがメリットがあることを証明したのがTVerだ。この業界でも「競争と協調・共存」という考えが生きてきている。もはや、足の引っ張り合いは無用。昔はえり好みできたが、今はえり好みどころか色々なところから“声がかかるうちがはな”だ。

この記事を書いた記者

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成澤誠
放送技術を中心に、ICTなども担当。以前は半導体系記者。なんちゃってキャンプが趣味で、競馬はたしなみ程度。
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