放送100年特別企画「放送ルネサンス」第24回
早稲田大学教授
長谷部 恭男 さん
長谷部恭男(はせべ・やすお)氏。1956年10月生まれ。広島市出身。1979年、東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科助手、同教授、法曹養成専攻長を経て2014年から現職の早稲田大学法学学術院教授。東京大学名誉教授、日本公法学会理事長。
長谷部 恭男さん インタビュー
Contents
- 1 ―ご自身と放送との関わりについて
- 2 ―放送開始から来年で100年が経つが放送はそういった役割を達成できているか
- 3 ―インターネットの普及で若い人のテレビ離れが顕著だが放送はこのまま終焉化するか
- 4 ―インターネットで配信すれば放送はいらないというハード面の考え方をどう思うか
- 5 ―そういった方向に放送が移行するにはどうすればいいか
- 6 ―放送も新聞もネットファーストでインターネットにすり寄っていくと、本来の役割を果たせないのではないか
- 7 ―今後の放送とインターネットとの関わり方について
- 8 ―インターネットとの差別化が必要ということか
- 9 ―現実的にクオリティペーパーのような高品質で信頼できるものに転換できるか
- 10 ―放送法改正でNHKの必須業務にインターネット配信が加わるがどう評価するか
- 11 ―この先放送が生き残るためには何が必要か
- 12 ―プロフェッショナルな側面の強化が放送の将来に重要だということか
―ご自身と放送との関わりについて
テレビは出演したことが何度かある。爆笑問題の「爆問学問」や報道関係の番組にもいくつか出ている。報道ステーションやニュース23、報道特集など。あとは放送との関わりというと総務省での研究会や審議会に参加し、制度作りに関わってきた。
放送と最初に縁ができたのは放送文化基金からの委託を受けた芦部信喜先生を座長とした放送問題総合研究会で下働きや、報告書の下書きをしたこと。そこで描いた放送像というものがある。総合編成の新聞も同じ役割を果たしているが、放送、特にテレビは政治から社会問題、天気予報に至るまで、日常生活を支える日々の情報、いわゆる基本的情報を社会全体に満遍なく低コストで提供する役割を担っており、そういった役割を今後も果たし続けるべきだと報告書に書いていた。私にとって放送は今でもそういうもの。
―放送開始から来年で100年が経つが放送はそういった役割を達成できているか
現時点では達成できていると思うが今後についてはわからない。そうした役割をテレビが果たすためには各チャンネルがかなりの程度の視聴率を確保しているということが前提になるが、この前提が最近はだんだんと崩れてきている。
理由の一つは、多チャンネル化により一つ一つのチャンネルの視聴者数が減っていること。それからもう一つはインターネットを前提とする他の媒体が増えたこと。それによってチャンネルごとの視聴者数が減ってきている。
一つのチャンネルがかなりの視聴者を抱えていれば、それぞれのチャンネルがいろいろな階層や立場の人たちに向けた番組を提供することが商売の理にかなっているのだが、チャンネルごとの視聴者数が減ってくると、特定の階層や特定の立場の視聴者を相手に番組作りをした方が利潤の最大化に貢献する。
それからもう一つ、NHKの存在意義は、受信料を財源として安定的に良い番組を社会全体に届けることによってそれが民間放送の番組の質にも影響を与えることにあるという前提があったはずだが、民間放送のチャンネル当たりの視聴者が減ってきて、必ずしもあらゆる視聴者を相手に番組作りをすることが経営にとってプラスにならない。すると、NHKの作る良い番組が民間に影響を与えるという前提も希薄化しかねず、バラ色の時代は過ぎ去りつつあると考える。
―インターネットの普及で若い人のテレビ離れが顕著だが放送はこのまま終焉化するか
テレビが終了するとは思わない。例えばテレビが出現したとき、映画やラジオがおしまいだと言われたこともあったが、映画は映画、ラジオはラジオで居場所を得て現在まで生き続けている。世界にとってなくてはならないメディアであり続けている。テレビが役割を終えることはないだろう。
―インターネットで配信すれば放送はいらないというハード面の考え方をどう思うか
そういう将来像も可能とは思う。ただインターネットというメディアは、基本的にはグローバルなメディア。他方、テレビやラジオといった放送はナショナルなメディアだと思う。言わば地元の住民向けのデパートのようなもの。
するとインターネットのメディアが日本社会をどこまで考えてくれるかという問題がある。国がいつまで生き残るかという問題もあるが、当面は世界統一国家ができるとも思えない以上、国が行動の単位となる。そうなると、日本としての社会の行く末、経済の在り方をどう組み立てるかを考えないといけない。そういった問題に焦点を当てるメディアも必要。
インターネットにもそういうチャンネルが現れるかもしれないがその保証はない。そうなると今までのテレビに相当するメディアに今後も生き残ってもらわないといけないという人々はいるだろう。
―そういった方向に放送が移行するにはどうすればいいか
日本固有の事情として、新聞やテレビは資本や人材の面で相互に協調しながら経営している。少なくともそういうメディアが多い。そこにはいい面も悪い面もある。将来生き残ることができるかどうかという現状を考慮すると、どちらもオールドメディアであり、いつ、そしてどこまで協調していけるかを考えていかないといけない。
―放送も新聞もネットファーストでインターネットにすり寄っていくと、本来の役割を果たせないのではないか
おそらく新聞が本当に力を入れて書いた記事を作ろうと思うと、今の部数では無理だと思う。数で勝負するならネットにすり寄らざるを得ない。一生懸命力を入れて書いたとしても読んでいる方はそこまで暇ではない。それはそれで仕方ない。そこはもう少し規模を小さくして、それでも世界を動かせる程度のインパクトを持てる程度の規模はないといけないし、そういうインパクトを与えられる視聴者なり読者層を捕まえないといけない。
―今後の放送とインターネットとの関わり方について
日本という社会の現状と将来をきちんと焦点化して、人々に物を考えさせるようなメディアが生き残ってくれないと、日本の社会自体が生き残れない。それをどうやって生き残らせるか。
例えばイギリスを見ると、クオリティペーパーとタブロイドは全然中身が違う。クオリティペーパーを読んでいる人々は本当に社会のごく一部。それでも社会を動かすのはどちらかというと、それはクオリティペーパーの方。そういう観点からもメディアの役割分担というか、棲み分けについては考えていかないといけない。
―インターネットとの差別化が必要ということか
政治にしても経済にしても、ハンドルを握っている人々の数はそれほど多いわけではない。世の中一般全ての世論というよりは、そういった人々を動かせるメディアになれるかどうかということ。そのためには信頼性があるべきで、プロフェッショナルな番組作りなり、紙面作りをしているという実績が必要となる。
―現実的にクオリティペーパーのような高品質で信頼できるものに転換できるか
NHKスペシャルのような番組については評価できると考えている。日々のニュースはどうかと思うこともあるが、民放であれだけのコストや人員はかけられない。そこは信頼が置けるところ。民放も含めてすべてのニュースでそれができるかというとそれは難しい。例えばテレ朝の報道ステーションとかTBSの報道特集とか、限られたリソースで何とか頑張っているという感じ。
―放送法改正でNHKの必須業務にインターネット配信が加わるがどう評価するか
NHKはもう少し自由に活動していいと思う。必須業務かそうでないかがなぜ大きな意味を持つかというと、これまでハードとソフトを一致させる制度をとってきたから。
もちろんNHKはこれからも地上波や衛星波を使い続けるだろうとは思うが、もうハードと概念的には切り離してどんなメディアを使ってもいい、基本はソフト制作会社としてやっていきましょうという位置づけにすれば活動は自由になる。民放が喜ばないからなかなかそうはならないと思うが、放送界全体を考えると、ハードとソフト一致の原則にいつまでこだわるのか。それがいいか悪いかではなく、そうならざるを得ないと考える。
あまねく全国の放送対象地域に向けた放送事業だが、地方では無理が来ている。特に民放の地方局が無理だとなると、それを支えるコストの一部をNHKが受信料で肩代わりできのるかという話になる。
NHKの強みの一つは美術番組や音楽番組。芸術の番組作りは大変優れていると思う。それが減るのは日本社会にとって良くない。大自然の映像やNHK特集のような硬派な報道番組、子ども向けの教育番組は重要。後は定時のニュースをもう少しきちんとやってもらえたらと思う。
制度論との関係で言うと、今までは、ほぼ継続して自民党政権だったことが大きい。それが今後変わるかどうか。もし十年ごとに政権交代が起こるとすれば、制度そのものが改善できるかもしれない。
例えば、NHKの受信料額が毎年国会の承認がないと決まらない。あれはよろしくない制度だと思うが、自民党政権が続く限りはそれを変えるインセンティブは自民党には全くない。政権が変わるという前提なら、次に政権を狙う政党が変えようと言ってくれるかもしれない。そういうことでもない限りはいい方向には動かない。
―この先放送が生き残るためには何が必要か
たいていの人が毎日テレビを見ている社会ではなくなった。それは仕方のない話。そうなると今の数のネットワークを維持できるかというとその保証はない。数を減らせば役割を果たせるかも知れない。一つのチャンネル当たりでどれだけリソースを確保できるか。全体の財源が縮小する中で5つのチャンネルを保たせ続けようと思ってもそれは難しい。
ただ新聞にしてもテレビにしても、ある種プロフェッショナルな倫理を持って番組作りや紙面作りをするというカルチャーがある。それがインターネット上の様々なサイトにあるかと思えば、必ずしもそうではない。
従来は、新聞もテレビも、自分たちがプロフェッショナルだという面を強調してこなかった。社会自体が何も発言しないときは「社会の木鐸」でよかったが、今は社会の方が発言する以上、木鐸は必要ないと言われる。そうした状況で、大きな組織を活かしてそれなりの財力やリソースもあるので、プロの観点から取材や社会にとって何が重要かというアジェンダ設定もできるという側面をもっと強調してもいいと思うし、そうしないと生き残れない。
そうでもしないと、新聞やテレビも、情報もタダで見られるから、SNSを見て情報を集めましたという人ばかりになり、世界が変な方向に行ってしまうのではないか。
―プロフェッショナルな側面の強化が放送の将来に重要だということか
だんだん余裕がなくなっていると思う。昔のようにテレビ局はもうかる商売ということではなくなってきている。経営が悪くなると、そうした側面を実現することも困難になる、あるいはそれを果たしていないから見る人がいなくなって経営が悪化するという側面もある。
自分たちはプロの倫理感に基づいて高度な番組作りや紙面作りをしている、ということを言ってこなかったのは、あまりそういうことを言うとエリート主義のようにとられて反感を持たれるからだと思うが、今後もそれでいいのか。この人たちが作る番組は違うとか、この人たちが作る紙面は違う、ということをみんなが感じてくれないことには未来は開けていかないと思う。
この記事を書いた記者
- 主に行政と情報、通信関連の記事を担当しています。B級ホラーマニア。甘い物と辛い物が好き。あと酸っぱい物と塩辛い物も好きです。たまに苦い物も好みます。
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