放送100年特別企画「放送ルネサンス」第26回
慶應義塾大学名誉教授・作家
荻野 アンナ さん
荻野アンナ(おぎの・あんな)氏。1956年11月生まれ。神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学文学部仏文科入学後、フランス・パリ第4大学留学を経て1982年に慶応義塾大学文学研究科修士博士課程修了。慶應義塾大学文学部教授を経て現在同名誉教授。作家として、1991年に「背負い水」で芥川賞を受賞した。金原亭駒ん奈の名で落語家としても活動。
荻野 アンナさん インタビュー
Contents
- 1 ―放送とのかかわりについて
- 2 ―お笑いと純文学との関連は
- 3 ―テレビはご自身にとってどういう存在か
- 4 ―その後の人生でテレビからの影響は
- 5 ―放送開始から100年が経つが放送についてどう評価するか
- 6 ―昔と比べてテレビそのものは変わってきているか
- 7 ―現状の放送に対する問題点や課題は
- 8 ―インターネットの普及で放送終焉の声もある。放送はこのまま生き残れるか
- 9 ―テレビ側の危機感は強い
- 10 ―テレビ側の良さが若い人にも広がるといいと思うが、一生懸命に努力して作っていく映像よりも、たまたま撮った安易な映像を集めた方が面白いという風潮もある
- 11 ―テレビにはまだ力があるということか
- 12 ―結果的にテレビ世代も若い世代も両方取りこぼしているなかで、具体的にどういった番組を期待しているのか
- 13 ―放送に対する提言はあるか
―放送とのかかわりについて
テレビが家に入ったのは、幼稚園の頃で、当時は「チロリン村とくるみの木」、そして、小学校1年生で「鉄腕アトム」、2年生で「鉄人28号」という世代。その頃のテレビは玉手箱だったと思う。子供向けの番組だけではなく、劇がありバラエティーがあって、大人から子供まで楽しめた。特に覚えているのは、クレイジーキャッツの活躍。「シャボン玉ホリデー」はそんなに見ていたわけではないが、そうした「おとなの漫画」という風刺番組が子供ながらに面白いなと思って見ていた。
父親が外国人で船に乗っていたので家族でゆっくりする時間はあまりなかったが、日本語がそんなにできない父と母と私とで、楽しんで見ることができる唯一のテレビ番組がドリフターズだった。アメリカでは不可能だった聖歌隊のパロディーなどが、キリスト教文化圏の父にとっては大胆に映っていたようで楽しんでいた。
私はお笑いに興味があり、今は自分でも落語をやっているが、その原点は母が赤ちゃんの私をあやしながらラジオで聞いていた(古今亭)志ん生だった。その後、大学の頃には桂枝雀さんの番組、そして漫才ブームと続き、私のお笑いへの関心はラジオ、テレビで育ってきた。
―お笑いと純文学との関連は
私は自分で書くと同時に、16世紀のラブレーという作家を研究している。これが西洋のお笑いの大家で、日本の落語と同じネタがあったりしてつながっている。だからラブレーへの関心は元々の興味の延長でもある。ドリフターズはギャグの部分とか、スラップスティックだから言葉がなくてもわかる。話芸に感動するようになったのは年齢的にもう少し上がってきてからで、今ちょうど11代(金原亭)馬生師匠についているが、先代をテレビで見てすごく感動したのを覚えている。
―テレビはご自身にとってどういう存在か
テレビは玉手箱だと思う。外の世界に私を繋げてくれた。パリに住んでいたら、演劇でも映画でも見に行くのは容易だが、横浜の住宅街で暮らしているとそういう機会はほとんどない。ドラマと出会うのも、他のエンタメと出会うのも、まずはテレビを介してだった。母が画家で忙しく祖母が私の面倒を見てくれていて、見る番組は「水戸黄門」とかで、そんなテレビ番組にあやされて育った世代とも言える。
―その後の人生でテレビからの影響は
ラブレーの部分訳に初めて出会ったのが中三のときだったが、それまでにテレビなどでお笑い系のバラエティーや喜劇に接していたから入りやすかった。
ラブレーはユマニストで、思想的にも深いものがあるが、そういうのは当時中学生でわからなかった。ただそのお笑いセンスに惹かれていた。落語の話で、鰻屋の煙でご飯を食べて、その代金を要求されると、お金の音で払うネタがある。これがラブレーだと、焼肉の煙でパンを食べる。同時代のドイツやイタリア、トルコにも似た話があり、笑いのセンスは世界共通と感じた。
―放送開始から100年が経つが放送についてどう評価するか
私の世代でテレビの力を実感させられたのが、連合赤軍浅間山荘事件の実況中継。お茶の間にいながらにしてニュースの現場に立ち会えたのはかつてないことだった。リアルタイムの力がテレビにはあった。
他方で、例えば上質のドキュメンタリー番組もテレビならではのもので、今でも忘れられない番組がある。30年以上前になるが、クジラを捕って生計を立てている南の島の民族が、必要以上にクジラを捕らないという自然の知恵を働かせて生きる姿を描いた番組だったが、当時、非常に感動しエッセイにも書いたことがある。
テレビはリアルタイムの力と同時に、そうした作り込んだ番組の持つ力があると思う。今リアルタイムの情報という点ではネットに遅れをとっているかもしれないが、作り込んでいく番組の持つ力は、テレビ独自の価値として生きている。
―昔と比べてテレビそのものは変わってきているか
自分もつい見てしまうのだが、ひな壇に芸人を並べるバラエティー番組がゴールデンタイムを席巻している。視聴者はお腹いっぱいだと思う。芸人を見るならテレビじゃなくてもYouTubeの方が面白い番組がいっぱいあるから、これがテレビ独自の面白さかというと必ずしもそうではない。
昔は、それこそゴールデンタイムに「水戸黄門」とか、子供からお年寄りまで楽しめるドラマがあり、今の薄っぺらなバラエティー番組と比べると、力の入ったものが一定数あったと思う。初期の「水戸黄門」は、映画の時代劇のノウハウをきちんと継承した番組もあり、それを週1回ずつ放映するというのは今思うとレベルが高かったなと思う。
―現状の放送に対する問題点や課題は
テレビではスポンサーへの配慮などもあったりして無理な企画であってもネットでは出来てしまう。テレビでできないことをネットが今、率先してやってしまっている。ただネットはリアルタイムに強く、いろいろなことができるが玉石混交。テレビは、情報を取捨選択しているため信頼性は高い。リアルタイムに強いネットに対して、その後の状況分析みたいな部分は放送の方が得意だと思う。
今後、テレビにとっては、時間をかけた上質の情報や番組を、いかに出していけるかが課題ではないかと思う。
―インターネットの普及で放送終焉の声もある。放送はこのまま生き残れるか
ネットは本当に玉石混交で、それに対してテレビは人材と資金をフル活用させたら、精度の高い大量の情報をうまくまとめられる。そうすることができれば、独特の立ち位置を獲得できると思う。だから、ネットと放送は平和共存できるのではないかと思う。
かつて、ラジオがテレビに取って代わられたみたいな見方もあったが、ラジオはその独自性で未だに勝負している。ラジオにも出演していたが、テレビとは違った時間の流れを楽しめる。そういう意味でネットが出てきたからといって、テレビが終わってしまうということはない。今は逆にネットを見る若い人がラジオを聞いている。
―テレビ側の危機感は強い
ネットでニュースを読んでも、結局はテレビとか新聞で精査する。今の皆さんは使い分けていると思う。若い人はネットだけの場合もあるだろうが。上質なドキュメンタリーのような作品性の高いものは残っていく。
テレビの黄金期には、ドリフのようなとんでもない視聴率を取る番組があったが、視聴者のニーズが多様化しているなかで、そういう夢のような高視聴率というのはもはや望めないのかもしれない。ただ、一定のファンを惹きつけ続けることはできると思う。現在、放送局の番組審議会もやらせていただいていて、毎月、テレビ番組を丁寧に見る機会があるが、手間をかけて作られている番組はすぐに分かる。そういう手応えは、必ず視聴者にも伝わっていくと思う。
―テレビ側の良さが若い人にも広がるといいと思うが、一生懸命に努力して作っていく映像よりも、たまたま撮った安易な映像を集めた方が面白いという風潮もある
偶然の面白さの方が勝ってしまうというのはあるかもしれないが、そういうのは使い捨てになって残っていくものではないと思う。YouTuberの人は人気が出るとテレビにも出るが、テレビだと面白くない。テレビとネットの世界は別。
安易な番組も多い。面白動画100連発みたいな、素人が撮った面白い動画を寄せ集めてきて、あとはひな壇から芸人が反応するという。そういう素人の力を借りる、安易な作り方をした番組はむしろネットに勝てないと思う。
ネットに対抗しようと、ネットの真似をするのは目指す方向がちがう。テレビでしかできない、しっかりと作り込んでいく番組を大事にしてほしい。
―テレビにはまだ力があるということか
家庭のあり方とか個人のあり方が変わってしまい、昔みたいに家族全員でテレビを見るという形が今は取れない。そういう家族も多いと思う。その中で、良質のテレビは、バラバラな緩んでしまった家族の絆をもう1回結び直す役割も果たせるのではないかと期待している。
圧倒的な高視聴率ということでなくても、ほどほどの視聴率でいいから、若者だけでなく、複数の世代に届くような番組を作って、家庭内でバラバラに見るのではなく、家族が一つの画面を共有する。そういうことができる番組が増えていくと家族のあり方も変わってくると思う。それだけの力がテレビにあると思う。
また、私のような60代から上のテレビで育った世代も人口としては非常に多い。そうした世代が今のテレビに食傷してしまっていることも問題だと思う。いい番組があれば、60代から上の世代は、確実に反応すると思う。
こうした点に焦点をうまく合わせることができたら、団らんの場としてのテレビが必ず復活すると思う。
―結果的にテレビ世代も若い世代も両方取りこぼしているなかで、具体的にどういった番組を期待しているのか
例えば、テレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」などは、個人的にはいつも感動を与えて貰っている。低予算ながら、制作には非常に手間をかけていると思う。ドラマを持っている人に当たるまで繰り返し努力取材していると思うが、たまにものすごい人が登場する。人生を凝縮したような、そういう時間が画面に現れている。手間を惜しまないところがテレビのいいところで、テレビの職人技だと思う。
―放送に対する提言はあるか
私の専門は文学だが、文学もテレビも人間が使うもので、人間性の追求が究極の目的だと思う。昔のテレビは玉手箱だと言ったが、そういう多面的な魅力がテレビにはある。お笑いから深刻な人生劇まで、様々なジャンルで人間性を伝え届ける可能性を秘めている。それがテレビだと思う。だから今後もテレビには人間讃歌を謳い続けてほしい。これが人間だというところを見せてほしい。
この記事を書いた記者
- 主に行政と情報、通信関連の記事を担当しています。B級ホラーマニア。甘い物と辛い物が好き。あと酸っぱい物と塩辛い物も好きです。たまに苦い物も好みます。
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