放送100年 特別企画「放送ルネサンス」第30回
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SlowNews シニアコンテンツプロデューサー
熊田安伸 さん
熊田安伸(くまだ やすのぶ)。1967年岐阜市生まれ。90年NHK入局。沖縄局、報道局社会部で「公金」の調査報道。新潟局、仙台局で震災報道を指揮。2006年、スクープをめぐる民事訴訟で取材源秘匿を認める最高裁の初判断を勝ち取る。12年、Nスぺ『追跡 復興予算19兆円』でギャラクシー大賞など。17年、NHKの公共メディア化に尽力、「政治マガジン」「取材ノート」など開発・運営。21年、スローニュースに移籍。著書に『記者のためのオープンデータ活用ハンドブック』。
熊田安伸さん インタビュー
熊田様のインタビューに一部誤りがありました。お詫びして正しいものを再掲載いたします。
また、紙面につきましては2月28日号1~2面に再掲載いたします。申し訳ございません。
Contents
テレビ離れが指摘されているが、これまでの放送とのとのかかわりのなかで、どのように考えるか
最初に言いたいのは、「テレビ離れ」と言われているが、実はテレビ離れは起きていないと思っている。TV局が作ったものは、今も変わらず若者たちは好きで、番組を切り取って、放送とは別の形で見ている。そこでは、ヒットしているものはヒットしている。
もし、テレビ離れ的なものがあるとしたら、その根源は、VTRが普及し、見たいものを録画してみる視聴形態が始まったことにあり、その頃からコンテンツのパーソナライズ化が進んできた。それが、今では録画という手間を省いて動画視聴という形になっているということだ。その意味で、「みんなで見る放送」という形でのテレビ的なるものは、とっくの昔に崩壊していた。本来、そこで放送という形にこだわる必要のない時代を真剣に考えなければいけなかった。
私は1967年生まれで、子供の頃のテレビとの接触は、宇宙戦艦ヤマトから始まり、ガンダムであり、アニメーション全盛期だった。私は筋金入りのSF少年だったので、テレビで放送されるSF映画やアニメを全部録画していた。VTRに小遣いをつぎ込んでいた。その時代から、見たいものを録画して見るという形が進み、「テレビ的なもの」は、もう崩壊していたと言える。ただ、そうした当時も、今も、コンテンツからは一歩も人々は離れていっていない。
そうした中でNHKに入局して、どう感じたか
当時はインターネットと言っても、まだインターネット通信時代だったが、これからのニュースやコンテンツの接触の仕方は必ずパーソナライズされると思っていた。NHKの面接試験でも、テレビを見る人に全てのニュースを見てもらおうとするのではなく、こういうニュースが欲しいとオーダーしてくれた人に、自動的に、そのニュースを届け、課金するようなシステムにしないと駄目ではないかと話したことを記憶している。面接官からは、「君は記者ではなく営業に行った方がいい」と言われたのを今でも忘れられない。NHKには、コンテンツ作りをしたくて入ったが、当時から普通にコンテンツ作ってもしかたがないと思っていた。
しかし、実際に入局して働くようになり、例えば自分がスクープし、夜7時の「ニュース7」のトップでスタジオに出演して記者解説をする。その時は、一瞬でも、何かメディアの頂点に立ったような気になっていた。
今思うと、それは幻想に過ぎなかった。自分の思いを広く世の中に届けられていたかというと、現実には、そんなことはなかった。コンテンツのパーソナライズ化で、すでに放送の幻想は壊れていたからだ。
放送の役割はもうなくなってしまったのか
コンテンツのパーソナライズ化の一方で、どうしても伝えなければならないことはある。今回のこの「放送ルネサンス」のインタビューでも、東日本大震災の話をされていた方がいたが、まさに、そうした災害報道など、ただちに絶対に伝えなくてはならない場合などに、放送の役割がある。
ただ、そうした災害報道における放送の役割にも、分水嶺となる事態があった。この東日本大震災のあった2011年に決定的なテレビの敗北が起きたと思っている。東日本大震災でテレビが頑張ったという人もいるが、私は、これも幻想だと思っている。
それは、放送が人を救えなかったことだ。あの時、大津波が起きているのだから、放送は、今すぐ逃げなさいと呼びかけなければならなかった。しかし、NHKが何をしたかというと、災害現場近くの漁協などに電話インタビューして放送するという、いつも通りのことやっていた。そんなことをしていては駄目で、「今すぐ、あなたも逃げなさい」と言わなければならなかった。
当時、社会部の中で、津波の危険性を最優先で伝えようと言ったのは、ただ一人。だが、彼がそう言っても、私を含め皆は、ぽかんとしていた。そしていつも通りのことをやってしまった。そのことで、多くの人を逃がすこともできず、多くの人が亡くなってしまった。そもそも、災害が発生しているさなかに、人はテレビを見ていてはいけなかったはずだ。
先の兵庫県知事選挙で、メディアは敗北したという意見が多いが、あれはメディアの敗北ではなくメディアの不作為だ。だが2011年の時は、確実に既存メディアの敗北だったと思っている。
NHKに限らず公共的であるメディアが人の命を救うという最も大事な役割を果たすためには、放送という形式にこだわっていてはいけない。命を守るために本当は何をすべきだったか、2011年は、そうした放送の限界を突き付けられた年だった。
NHK内でも、そうした放送の限界を全員が認識したはずだった。では、何をしなければならないか、それを一から考え直すべきだった。
その後、ネットの声をいち早く集めるチームを作ったり、ネットワーク報道部が出来たりしたが、いま、当時の反省を忘れてしまったようになっていることは大変残念だ。
放送の限界にどう対応するべきか
米国や英国では放送と通信は、分ける必要もないという話になっていて、それはその通りだと思う。放送にとって、一番大事なのは、まず命を守るために、どう伝えるかということ。また、テレビや新聞に人々が接触していない中で、どうしても伝えたい人たちに、どうしても伝えたい情報があるときに、そこを繋ぐ伝送路や届け方を研究しなければならない。その最大の機会があったはずで、本当は、それを必死に考えるべきだったと思う。放送で良いものを作っていれば、いずれ数字は着いてくるという時代ではなくなっているはず。
勿論、良いものを作ることは、やり続けて欲しい。最初に言ったように、テレビのコンテンツ離れ自体は存在していない訳で、良いコンテンツ作りは、一生懸命やり続けなければいけない。
同時に、それをどう確実にどう届けるかといった伝送路の在り方も考えなければならない。総務省のもとで行われている会議ではいまだに放送と通信を分けて議論するメディア関係者がおり、そもそもの議論の前提が違っていると思う。
ネットと放送は対立関係にはないということか
テレビ朝日の公式なユーチューブに、「山口豊アナが見たSDGs最前線 」という取り組みがあり、注目している。日本中の現場に出向き非常にクオリティの高いリポートしている。テレビとの共用コンテンツで、テレビでもスポンサーを得て時間枠を設け放送を成立させ、それをネットで展開する。まさに理想形の一つだと思っている。テレビでは、そこまで見られない番組を、ユーチューブで流すことで爆発的に視聴されている。
テレビ局には、圧倒的な取材体制があり、それをつぎ込んで質の高い番組を制作し、ユーチューブで届けるべきところに届ける。こうした取り組みに非常に希望を感じている。テレビと連動しながら、ネットを使って届けるべきところに届ける展開手法は次第に開発されてきている。
放送の現状の問題点や課題について
2007年のアイフォンの登場は「アイフォン・ショック」とも呼ばれるが、コンテンツへの接触方法が大きく変わった。この先、数年以内に、その接触手法は更に便利に大きく変わるはず。
これまでも、こうしてコンテンツの視聴方法は、伝送路が増える度に変わってきた。放送も届けるためには、そうした変化に、常にキャッチアップしていかなければならない。そのためには、既存の何をスクラップし、経営資源を新たな分野に振り向けることを考える必要がある。
放送局は、よく人が足りないというが、現実には、今の放送には無駄が多いと思う。もっとテクノロジーを活用することで、手を抜ける部分はたくさんあるのに、考え抜いていない。このため、ローカル局の取材の人数を減らすとか、最も大事にすべきところに、しわ寄せが出ている。番組制作や送出などで、もっと自動化できることが無いかなど、真剣に考える必要がある。リソースの振り分け方を考え、届け方をどう変えていくか常に研究していかなければならない。
また、放送界全体でみると、今後じり貧になっていくかもしれないが、公共放送、公共メディアであるNHKが、これまで培ったノウハウを、民放などに無償で提供するなどして工夫することも必要だと思う。
伝送路としての放送の今後と放送への提言・期待について
伝送路としての放送という意味では、ここまでネットが普及すると、放送は、難視聴のためのBS(衛星放送)とネットがあればよく、ネットの輻輳の問題も解決されてきていることを考えれば、放送が無くなって困る理由が次第に無くなってきているような気がする。
勿論、届ける手段は色々あったほうがよく、テレビの放送波も、ラジオもあった方がいいに決まっているし、無くなりはしないと思う。
かつて永六輔さんが、「あらゆるメディアは絶対に死滅することはない。縮小するだけで、どんなメディアも消えることはない。ラジオだって消えないし、本だって消えない」という意味のことを言っていたが、その通りだ。ただその場合、縮小することもあり、その役割も変わることは間違いない。
その際に、放送にとって何が大事かということを考えればいいだけのことで、インターネットと戦う必要もない。様々な伝送路のなかで、自分たちが何を選び取っていくのかという話だ。
そうした選択で、新聞は進化しているが、放送は正直言って進化していないと感じている。放送局が本気でコンテンツを作れば、圧倒的な力があるはずだ。そして、ネットを使えば、放送には、もっと様々な可能性があるはずだ。NHKも元々はラジオ局だったが、そこから変わってきた。今も、それと同じように変わることが求められている。
この記事を書いた記者
- 放送技術を中心に、ICTなども担当。以前は半導体系記者。なんちゃってキャンプが趣味で、競馬はたしなみ程度。
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(敬称略:あいうえお順)