放送100年 特別企画「放送ルネサンス」第31回

共同通信社編集委員
原 真 さん
原 真(はら・しん)氏 共同通信社 編集委員兼論説委員。1962年生まれ、神奈川県出身。共同通信社で文化部やニューヨーク支局の記者、富山支局長などを経て現職。著書に『テレビの実像』『テレビの履歴書』『巨大メディアの逆説』など。入管難民法改正を巡る報道で貧困ジャーナリズム賞、新聞連載を書籍化した『わたしの居場所』の取材班代表として平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞。上智大非常勤講師も務める。
原 真さん インタビュー
Contents
- 1 放送を取材するきっかけは
- 2 日本国内において、これまで放送が果たしてきた役割をどのように考えているか
- 3 日本でも、もっと早くネットに対応していれば放送は変わったか
- 4 若年層のテレビ離れをどう見ているか
- 5 ただ、現実問題としてネットの世界では、バズることを狙ったコンテンツが増え、情報の質は劣化しないか
- 6 取材者として、100年を経た放送の今後の課題をどう考えているか
- 7 地域に密着した情報を出していけば、本当に地方局は生き残れるか
- 8 もう一つの懸念として挙げている公共放送NHKへの懸念とは
- 9 あるべき姿にするためには何が必要か
- 10 ネットで多様な意見が出るようになり、公共放送は役割を終えたのではないか
放送を取材するきっかけは
1985年、共同通信社に記者として入社し、最初の赴任地が岐阜支局だった。その年、地元で高名な版画家が亡くなり、一緒にいた男性が傷害致死容疑で警察の事情聴取を受け、犯人であるかのように実名で新聞に報じられた。男性は無実だったが、自殺した。私にとって、この事件が非常に大きく、報道の在り方を問い直し始めた。
他の新聞社やNHK、民放の記者たちと共に、マスメディアと人権を考える勉強会を立ち上げた。勤務地が変わっても、同じような勉強会を重ねてきた。そうした中で、放送のありようも再考するようになる。
1995年に東京本社の文化部に異動し、放送を担当することになった。CSデジタル放送が始まるところで、TBSオウム・ビデオ問題にも直面し、番組内容だけではなく、取材のあり方や放送局の経営、放送技術も取材し始めた。当時、民放連職員だった砂川浩慶さん(現立教大教授)から「テレビはエンタテインメントであり、ジャーナリズムであり、ビジネスであり、テクノロジーだ。放送担当の記者は、この4つをトータルに見なきゃいけない」と助言されたこともあり、多面的な取材を心掛けてきた。
日本国内において、これまで放送が果たしてきた役割をどのように考えているか
ラジオにしてもテレビにしても、その時々の最強のマスメディアとして、重要な情報を広く市民に伝達する役割を果たしてきたと思う。フィルターバブルやエコーチェンバーにより、オーディエンスの分断を生み出してしまうインターネットとは違う。
ただ、1990年代末にニューヨーク支局に勤務していた頃、まだダイヤルアップの時代だったが、タイム・ワーナーは動画をネットに出そうとしていた。取材した同社幹部は「オーディエンスがいるところなら、どこへでも出ていく」と話していた。それに比べると、日本の放送局はネット進出が遅れたと言わざるを得ない。
日本でも、もっと早くネットに対応していれば放送は変わったか
もしもテレビ局が早い段階でネットに進出していれば、『TVer』や『NHKプラス』などのサービスがもっと利用され、ネットにおける放送の存在感は、今とはだいぶ違っていただろう。
何年か後に振り返れば、ほぼ全CM差し止めという前代未聞の事態に至ったフジテレビの問題が、テレビの没落を象徴すると出来事と位置づけられるかもしれない。ネットは動画も音声も静止画も文字も世界中に伝送できる、これまでにないスーパーメディアだ。将来的には、テレビ・ラジオがネットに呑み込まれていくのは避けられないだろう。その場合、二つの問題があると思う。
一つは、先ほど言及したフィルターバブルやエコーチェンバーの問題だ。ネットで興味のある情報だけに接する「情報偏食」が進めば、民主主義の前提となる「皆が知っていなければいけない情報」を共有できなくなってしまう。知るべき情報を百万、千万人単位の市民に提供するマスメディアは必要不可欠だ。テレビ・ラジオや新聞・通信社に匹敵する取材力や信頼性のあるネットメディアは、まだ見当たらない。その意味で、ネット時代に、既存マスメディアがいかにオーディエンスを維持するかが、最大の課題といえる。
そして、もう一つは災害報道だ。通信が5Gになれば輻輳や遅延がなくなり、災害時でも大丈夫と言われてきたが、実際には、そうなっていない。現時点では、電波を使う放送が、最も効率的な一斉同報の手段だ。日本は大地震や大雨、大雪といった災害が多い。通信が放送と同等の伝播力を持てない限り、いざというときに命を守るために、放送を残すべきではないか。
技術が進歩し、通信の輻輳などが解消するのであれば、放送にこだわる必要はないかもしれない。だが、この二つの問題が残っている間は、全てをネットに置き換えるべきではないと思う。
若年層のテレビ離れをどう見ているか
若者たちは、スマートフォンでのコミュニケーションが生活の中心になっている。そちらに時間が割かれれば、テレビを見なくなるのは避けられない。しかし、テレビの番組や情報に全く接していないという人は、少ないはずだ。
SNSで話題になったドラマをTVerで見る若者は相当数いる。フジテレビが2022年に放送した『silent』は、SNSを通じて大ブームとなった。今後は、テレビ受像機を持たなくなった人たちに、テレビの番組や情報をどうやって知ってもらい、ネットで見てもらうかが、大きな課題になる。もちろん、その前提として、面白い番組を作り、他にはないニュースを出していくことが求められる。
ネットならテーマに合わせて、動画や静止画、テキストなど、いろいろな形を取れる。テレビ局の作り手も、従来のように番組だけではなく、多彩な表現が可能になる。新しいエンタテインメントやジャーナリズムの在り方を追求できるようになるわけで、かつてないチャンスであり、面白がって挑戦していくべきではないか。
ただ、現実問題としてネットの世界では、バズることを狙ったコンテンツが増え、情報の質は劣化しないか
その恐れもある。ただ、視聴率主義と同じことで、放送局は既に経験している。現在も、地味ながら良い番組を作っている人たちはたくさんいる。私が審査委員を務めている「『地方の時代』映像祭」は、そんな作り手たちを応援することが目的の一つだ。若い作り手が優れたドキュメンタリーを手掛け、受賞する例もある。テレビ局や制作会社に入って間もないうちに、番組作りを経験し、その面白さを実感してもらうことが大事だ。
取材者として、100年を経た放送の今後の課題をどう考えているか
放送の近未来に関して、気になっているのは、地方局とNHKの在り方だ。
民放テレビが4局ある地区では特に、各局の経営がとても厳しくなっている。地方局は地域のジャーナリズムを支えており、その機能を保つことが喫緊の課題だ。私が富山支局にいた2016年、富山市議会の政務活動費不正が全国ニュースになった。最初にベテラン市議の不正をスクープしたのはチューリップテレビだ。その後は同局に加え、北日本放送や富山テレビ、北日本新聞をはじめ新聞・通信社が毎日のように調査報道で新たな不正を報じ、結果として市議14人が辞職した。この政務活動費問題を考える市民集会が開かれた際、取材に集まった私たち記者に対し、参加者が「不正を知ることができたのは皆さんのおかげで、お礼を言いたい」と発言、会場から大きな拍手が起きた。富山の民放3局は日頃から独自ダネを競っており、地域の民主主義に欠かせない存在だと思う。
その後、富山から東京に戻って、1都6県を放送エリアとする関東地方の特殊性を改めて痛感した。私は神奈川県民だが、キー局のローカルニュースで神奈川県や県内市町村の話題が放送されることは皆無に近い。その意味で、広域圏の視聴者は、ニュース砂漠に置かれていると言わざるを得ない。複数のエリアで同一の番組を流せるよう、放送法が改正されたが、他県のラーメン特集を見させられるようでは、視聴者にとっては大きなマイナスだ。
地域住民が必要とする地域情報を届けるために、地域密着の放送局はこれからもなくてはならない。仮に民放の経営がさらに厳しくなり、1県4局体制が成り立たなくなったとしても、キー局系列のタテの再編ではなく、放送エリア内のヨコの統合の方が、地域情報を確保できて、住民にとってはベターではないか。地方局とキー局、全国紙との資本関係もあり、難しいことは承知しているが、視聴者の立場から考えるべきだ。
地域に密着した情報を出していけば、本当に地方局は生き残れるか
放送局の数は別として、生き残る可能性は十分あると思う。県域の情報に対する住民のニーズは強い。地域情報を取材し、番組を制作できるプロフェッショナルが、各県に必要だ。現状では、頼りになる地域情報の担い手は地方局と地方紙しかなく、SNSに任せればよいという話にはならない。逆に言えば、地域情報に弱い地方局は、視聴者から見放されていくだろう。
もう一つの懸念として挙げている公共放送NHKへの懸念とは
1950年施行の電波3法により、NHKは事実上の国営放送から公共放送に生まれ変わったはずだった。ところが、現在に至るまで、政治との距離が問われ続け、親方日の丸的な体質が残っているのではないか。番組を見ても、政治報道は与野党の発言を並べるだけで、問題に切り込まず、官報のようだと批判されている。ドキュメンタリーやドラマは素晴らしい番組があるが、日々のニュースが今のままで、信頼を得られるだろうか。
NHKは、視聴者が支払う受信料で直接支えられているので、政府からも広告主からも独立している建前だ。でも、NHKは政治に翻弄されていると視聴者は疑っていて、こういう放送はできないだろう、こういうニュースは扱わないだろうと多くの人が諦めてしまっている。非常にもったいないことだ。
あるべき姿にするためには何が必要か
NHK幹部が政治に対し、毅然とした姿勢を示すことが第一だ。また、首相が国会の同意を得て経営委員を任命する際、衆参両院で公聴会を開き、同意は与野党の全会一致にしたり、経営委員会が会長候補を公募して、選任手続きの透明性を図ったり、法律を改正しなくても、できることは多々ある。さらに、かつて存在した電波監理委員会を復活させて、放送免許などの権限を総務大臣から独立行政委員会に戻し、予算の承認を国会ではなく経営委員会に任せ、政治的公平などの番組準則違反で行政処分をできないようにするなど、放送への政治介入を防ぐ法改正が必要だ。
経営委員人事(ヒト)と予算承認(カネ)を政治に握られているから仕方がないと、NHKの役職員も思い込んでいるのかもしれない。しかし、独立性を保てないなら、公共放送の存在意義はない。
ネットで多様な意見が出るようになり、公共放送は役割を終えたのではないか
例えば、SNSの普及でマイノリティーの人たちも自ら情報を発信できるようになったが、広がりには限界がある。少数派の声を多数派に伝えるために、公共放送は力を発揮できる。視聴率を追う民放は、そういったことは苦手で、最大公約数的な番組ばかりになりがちだ。そんな「市場の失敗」を補完するためにも、公共放送はあった方がよい。ただし、それが今のNHKでよいとは思わない。
この記事を書いた記者
- テレビ・ラジオの番組および会見記事、デジタル家電(オーディオ、PC、カメラ等)、アマチュア無線を担当
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(敬称略:あいうえお順)